●心の中の森を行く●

生きた証を残したい。私が言葉を忘れる前に

若かった頃の自分を そっと慰めてあげませんか?

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誕生日がくる数十分前、私はたまたま道頓堀川のほとりに座ってた。

ついさっきまで、近くの沖縄料理店でお笑いライブを見てた。ぼっち参戦というやつだ。沖縄からネタをひっさけげ大阪のお笑いに挑みにきた、3人の若者のエネルギーを眩しく思い出す。

30歳を少し過ぎた青年が、「僕のおかあ(母親)と同じ歳なんですね」といいながら、お誕生日おめでとうと言ってくれた。出産が早かったら、私にもこんな大きな息子がいたかも知れんのか。50年って長えな。怖えなw

そして、グリコのにーちゃんが嬉しそうに走ってるネオンを見ながら「アンタは何代目やったっけ。ずーっと道頓堀川に向かって走ってるよな。変わってるようで変わらんな」などと、ほうじ茶をすすってしみじみ座っていた。

 

 

道頓堀川というのは、阪神タイガースが優勝した時にアホが一杯飛び込んだ川のことだ。グリコのにーちゃんが代々ランニング姿で走ってるあの川でもある。実に沢山の観光客があそこで写真をとるよね。USJに行かん人なら、大阪の記念撮影スポットダントツNo.1はこの川のほとりだろう。

大阪で生まれ育った私にとっても、あの川は大阪の象徴でもあり、「アホやなあw」と笑ってきた川でもある。そして、むっちゃベタな表現やけど、あの川が流れてる通称「ミナミ」と呼ばれるエリアには、せつない思い出のかけらがいくつも落ちている。手をつないで堂々と商店街の真ん中を歩いてたのは、今から何十年前だったんだろうな。

 

少しヒトサマとは違う人生を歩んできた私も、あれこれ経験しながら無事に半世紀を生きてくることができた。この年齢の時の父、この年齢を迎えた時の母を思い出す。どちらももう、自分の足で道頓堀川にくることができない状態だった。

 

●続きはこちら → ちーでる 家族性多発性脳海綿状血管腫とともに半世紀

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慢性痛と 抑圧された怒りとの関係

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とある場所の慢性痛をしっかり治そうと思い立ち、深刺しで有名な某鍼灸院に3度通った。

電気が走るようなびしっ!とした激痛から、強い肩こりのような鈍痛に変化した。もう少し通えば鍼だけで治るのかもしれないけど、慢性といっても数ヶ月前の捻挫。なぜ治らないんだろう。

 

鍼を打つことで筋肉の緊張がとれるそうだ。血流が良くなり、組織に酸素を運んでくる。痛みというのはその部位での酸素不足によって起こるらしい。

そもそも、身体に必要な酸素が十分に行きわたらない場所が出るのか。それを司ってるのは交感神経だという。

交感神経優位で緊張状態が続く。だから副交感神経優位にしてリラックスさせるとよい、と。

 

先日読んだ『ヒーリングバックペイン』という本に、こんなことが書いてあった。

心の中に押し込めた怒りや悲しみにフタをし、気をそらせるために、脳内の無意識エリアが、身体のどこかに痛みを発生させるような指令を出す。その結果、筋肉がこわばり、神経が締めつけられて痛みが生じると。

 

私は自分の身体で実験しようと思った。鍼にあと1回通う代わりに、徹底的に自分の過去と向き合おう。こんな痛みを起こしてまで忘れたい何かってのは何なんだ。そもそも所詮ねんざだぞ。起こしてすぐに氷で冷やし、その後は極力動かさないように気をつけて暮らしてきた。数カ月も痛みが引かない理由が分からない。

 

そういや1年半前から続く痛みもある。この冬には原因不明の胸痛に襲われた。これが心不全とか心筋梗塞とかいう痛みか?と思うほど痛く、息苦しく、数か月仕事も運動も休んで家でずっと安静にしていたこともある。

 

痛みを長引かせたり、命に別条があるんじゃねーのか?と私をビビらせる痛みの正体を知りたい。多分、それが分からないうちは、これから先も身体のあちこちが、意味不明に痛くなる気がする。ばーさんになってからもそれじゃあ身がもたない。

 

『ヒーリングバックペイン』に

脳に語りかけ続けなさい、主人は私だと宣言しなさい

と書いてあった。

とにかく痛いので、仰せの通り、毎晩寝落ちするまで延々と私は脳に説教をカマす毎日を送っている。

 

無意識よ、お前が隠したい悲しみや怒りは何だ?何か隠してるのは知ってるんだからな。気をそらせるために無理やり身体に痛みを発生させてんじゃねーのか?痛えんだよ。いい加減にしろよ。

だいたいな。そこまでして隠したいほどの悲しみや怒り。オマエ、相当それで傷ついたわけじゃん?なのにそれ以上自分の身体を傷つけて、更に自分を痛めつけたいわけ?バカでしょそれw 普通は、悲しいことがあったら自分を慰めるもんでしょうが。心が痛い。だから身体も痛みを感じさせよう、って、オマエどんだけSなのよ?

そもそもな、身体がなくなったら、オマエもなくなるのよ、分かってんのか?

分かったんだったら、何が苦しいのか、ちゃんと意識の俎上に押し上げてこい。もうお互い半世紀も人間やってきたんだ。だいじょーぶ。どんな感情をあらわにしてもだいじょーぶ。はやく出せ、楽になろーぜ、な?

 

今日で3日目だ。

服がこすれても痛かった場所は、動かすと軽く痛む。安静にしてても常に痛かった頃と比べて、QOLは確実に上がった。

ねんざの方も調子がよくなってきた。ふいに力が加わると痛むけど、「動かすぞ」と意識してから動かす分には痛みはほぼ消えたと言っていい。

 

毎晩、ぽこん!と浮かんでくる辛かった過去。意識の上にそれが転がり出てくるたびに、温かいもこもこ毛布でまーるくくるんで、よしよししてやるイメージを浮かべている。

お前は悪くない。悪くなかったんだから。あれから何年経ってるか分かるか?環境は随分変わったんだ。もうオマエを苦しめるものはなにもない。怖がらなくていい。怒りたければ堂々と怒ればいい。紙に言葉をぶつけていい。

でてこい。今は何もかも安全だ。お互い、楽になろうぜ。

 

今晩も同じように自分に語りかけることだろう。

あの時は苦しかったよな。でもアイツ、馬鹿みたいだったと思わんか?自己保身のために、自分の子供みたいな歳のオマエを盾にして、自分のことをかばってただけ。卑怯だよな。あの時のアイツ、丁度いまの私と同じ年だよ。あれから25年は経ってるからな。もうお亡くなりになってるかも知れんな。

とにかくもうそれくらい昔のことだ。ひでーことしやがって、だよな。生きてたとしても、もうヨイヨイのばーさんだ。もう怖くなんかない。とりあえず出てこい。暗くて冷たいところに何十年も。毛布持ってきたから、かぶってあったまれ。な?

 

これで今後、どんなふうに痛みが変化するか。

ちゃんと治ったら、メインブログ「ちーでる 家族性多発性脳海綿状血管腫とともに半世紀」に記録を残すようにしよう。

 

 

老齢年金額の低さを嘆く沖縄の老人を叩く前に

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 増える老人、増える現役世代の負担。

若い世代が老人に文句を言いたくなる気持ちは、私にも理解できる。私も夫も、一応現役世代側の人間だ。

 

さっき私のツイッタータイムライン上をこんなニュースが流れていった。老齢年金を受給している沖縄の高齢者が登場する。「年金支給額が少なすぎて食べていけない、病院にも行けない」といった趣旨のニュースだ。

それに対して侮蔑的なツイートをし、それに賛同してガンガン叩いてるフォロワー達を見て思ったことをここに転載しようと思う。

 

 

headlines.yahoo.co.jp

 男性は数日前に誕生日を迎え78歳になったばかり。妻は1学年上で、もうすぐ79歳になる。耳が遠くなり、目もあまり見えないという妻。話がかみ合わないことも増えた。「認知症だろう」という。

 元々、水道関係の仕事をしていたという男性。いまは妻の面倒を見なければならないため仕事はしていない。頼みの綱は2カ月に一度もらえる2人分の年金計約22万円。つまり1カ月に使える金額は約11万円だ。

 

家には寝に帰るだけだという男性夫婦。1日3食全てをコンビニや牛丼チェーン店で済ますといい、車内のドアポケットにはコンビニでもらえるスプーンが大量にあった。食費に加えてガソリン代は毎月2万円以上。光熱費など最低限のものを支払うとあっという間に年金はなくなる。

 

 

これだけなら、沖縄県外でもよくあることだ。

中には確かに、若い時に貯金もせず、年金保険料も納めず、老後のことを考えてなかった人もいるかもしれない。

 

公的扶助に頼って生きている人を叩くときによく出てくる有名な画像がこれだ。

働いている若者より高額な生活保護費をもらっている。半額とはいえ、いい肉を沢山買いこんでいる。そして、「保護費が少なくて厳しい、これ以上減らすのか?」と嘆いている。

これまで散々この人はネット上で叩かれてきた。私も、この女性の金銭感覚はいかがなものかと思う。

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しかし、次のニュースを読んでほしい。老齢年金が少なくて生活が厳しいと訴える、さっきとは別の沖縄の老人の声だ。

記事内に書かれてある、沖縄が置かれてきた社会背景についての説明も、あわせて読んでみてほしい。

headlines.yahoo.co.jp

日本復帰後、県内の飲食店で勤務した。低賃金と事業所側の厚生年金未加入が負担となり、国民年金の納付は後回しになった。

 約10年前に夫が他界。納付条件を満たさず遺族年金はない。4人の子どもは自宅近くに暮らすが、「迷惑を掛けたくない」と頼れないという。

沖縄の年金制度は国民年金が本土に9年遅れて70年4月に始まったが、被保険者期間が短く年金額が県外より低いなど給付水準に格差が生まれた。政府は老齢年金の受給資格期間の短縮や復帰前の期間を保険料免除とする特別措置を講じたが、追納負担が足かせとなった。

 

 そして、これらのニュースを引用したツイートのいくつかを読んでみてほしい。最初の方はこれらのニュースを引用した人だ。当然記事内容を読んで引用したはずだ。

私は悲しい気持ちになった。

 

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私は沖縄の人間ではない。けれど、2つ目の記事が解説している通り、沖縄は本土とは異なる戦後を歩んできたんだよ。

アイコンとアカウント名を消しているとはいえ、ネット上であっても他人様にネガティブなことを書くのは本意ではない。ただ、この方はいつも老齢年金を貰っている老人を叩き、若者のフォロワーを集め、自分のブログに誘導してアフィリエイト活動をなさっている。

そのジャンルの知識が豊富な方だ。私も、彼女のツイートを拝見して勉強させてもらっている人間のひとりだ。

ただ、老人は早く死ね、に近いことを書いて煽る姿勢だけはちょっとな・・といつも思ってた。

 

特に沖縄には、本土にない特殊な事情があるんだよ。

 

日本で唯一、アメリカ人が上陸して残虐な戦闘行為を行った島。県民の4人に1人が戦場で散った島。1972年まで日本に戻ってこれなかった島。それが沖縄。

復興のスタート地点は、本土よりもぐっと低いところにあったはずだ。焼き尽くされ、破壊つくされ、何にもないんだもの。

頼れる親や親戚も沢山死んでしまった。後に残った人達は、社会システムも大切な人も財産もずたずたにされてなお、生きていくために必死だったはずだ。

 

その一方で、沖縄が本土復帰するまでの27年間に、本土はぐんぐん国力をつけた。

やがて高度成長期がやってくる。製造業やサービス業がどんどん伸びた。安定してお金を生み出す産業だ。農林漁業と違って、自然相手の不安定な職業ではない。

そして、各種社会保障制度が整った国づくりが行われた。年金制度もそのひとつだ。

 

沖縄の人が日本の年金制度に加わることになった時期は遅い。しかも、社会保険に入らない企業も多かった。一生懸命に働いても給料は低い。これは今でもそうだ。

安い給料の中から国民年金を払うのは大変だったろう。給与水準は地域差が大きいけれど、国民年金保険料は全国一律なのだから。

払いたくても払えない人の割合は、本土の比ではないはずだ。

沖縄が本土復帰した時、本土はもう「戦後」じゃなかった。沖縄は高度成長を経験することなく日本に戻ってきた。だから製造業の比率が低い。それでなくても地理的に本土と遠いから、製造したものを県外に出してお金を儲けることが難しい事情もある。

 

いつもと違って賛同の「いいね」やリツイが多い。

 

記事を最後まで読んだのなら、人寄せの為に安易に叩いていい老人じゃない(かもしれない)ってことが分からんか?

そこまでして賛同者を増やしたいのか?

歴史を知ろうぜ。沖縄は日本だ。特殊な道を歩んできた日本だ。

 

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返事は来ないだろうな、と思いつつも

「老人叩きをすれば現役世代が喜び、自分への賛同者が増えると思ってはいけません。沖縄の老人が貧困にあえいでいるのは、単に個人の努力や堅実さが足らなかったからばかりじゃないんです。そういう社会制度の中で彼らは生きてきたんです。歴史を知って下さい」

そう言いたくて、そんなリプを打ってみた。

 

やっぱり返事はこなかった。

 

でもね。いくらアフィリエイトでお金を儲けたいからといって、無分別に老人を叩くのはよろしくないと、私はどうしても思うんだよ。

特に沖縄の人を無分別に叩いちゃいけないと思うんだよ。社会制度の犠牲になっている側面もあるんだから。

 

そしてなにより。

その記事に出てきた年齢のご老人たちはね。

地上戦の記憶が残っている世代の方たちなんだよ。モノのように殺されていく人を、幼い瞳で否応なしに見せつけられ、食べ物もない中で何とか生き延びた人達。沖縄の戦後復興を支えた人達。

 

ここには貼らないけど、こんなリプを打ってる人もいた。

 

「若い時から自炊してないからダメなんでしょ」

 

はっきり書く。戦争で4人に1人も死んでしまうほど徹底的に破壊しつくされた島で、毎日食堂でメシ食えたと思うか?食材も手に入りづらい中、工夫して自炊して必死に命をつないできたはずだ。本土以上に大変な戦後復興だったんだぞ。分かってんのかオマエ。

 

歴史は勉強した方がいい。要らぬ誤解から来る摩擦を生む。

 

沖縄は、海がきれいでのんびりした「なんくるないさ~」なだけの呑気な島じゃないの。もちろん個人差はあるだろうよ。酒かっくらって仕事もせず、親戚におんぶにだっこな、どーしよーもないヤツもいると思うよ。

でも、あの記事に出てきた人達がそうだと決めつけちゃいかんでしょ。

 

沖縄のご老人はね。

なんくるならんことを一杯乗り越えてきた人達なんだよ。

 

アイキャッチ画像に使ったのは、私の書棚から引っ張り出してきた沖縄関連本のごく一部。私も本の中でしか知らないようなもんだから、偉そうに言えないんだけどね。

 

でもな。

偉そうに言えないからこそ。

つまり、よく知らないからこそ。

人を嗤って叩いちゃいけないと思う。

 

画面の向こうには人がいるんだ。忘れるな。

 

夫が酷いパワハラでどんどん憔悴する中 私は腰痛で動けなくなった

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 15年前。

外資系を渡り歩いてた夫が、更に上を目指して転職をした頃だ。採用するしないで、日本支社と海外の本社とで意見が合わず、結論が出るまでにひと悶着。最終的には日本の採用担当者の意見が通り、半年間の試用期間が設けられた。ところが日本側担当者が病気になり、夫の最大の後ろ盾がなくなってしまったんだな。

 

そこからが大変だった。夫の直属の上司があからさまなパワハラを掛けて夫を辞めさせようとし始めた。一例をたとえばなしで書くなら、「お前の近所のコンビニで、弊社製品が何個売れてるか毎日数えてこい」みたいな命令だ。

夫の消耗は当然のことだけど、私も相当堪えた。

半年後には無職になるだろう。この歳で失職したら次はないんじゃないか。私は脳血管奇形で障害者になる可能性が高い。しかも夫婦の年齢差が大きい。夫の老齢年金だけで食わなきゃいけない期間が長い。しかも夫が死んだあと、平均寿命から考えたら、私は20年間ひとりで暮らすことになる。

どんどん壊れていく夫を見ながら、私は私で絶望していた。いま思えば極端なほどに。

 

そんなある日、立ち上がれないほどの腰痛が起こった。ぎっくり腰ではない。でも、身体をくの字にしないと歩けないほどの痛みが長く長く続いた。整形外科で腰の牽引を受けたけど全然ダメだ。電気を当てても気持ちいいだけだった。

 

痛みが収まったのは、夫の再就職が決まった時だ。

 

整形外科で言われていたのは、太り過ぎているので腰への負担が大きいせいだ、やせなさい。これ一点。確かにそうだろうなとは思った。夫の再就職が決まった時に痩せてたかというと全然そんなことはない。身体に掛かる負荷はそのまま。なのに、紙をぺらっとはがすように痛みは消えた。

以来、腰が痛むことはなくなった。15年経って老化している身体であるにもかかわらず。

 

有名な本『ヒーリングバックペイン』に書いてあるのと同じことが起こってたんだろう。

しつこい痛みを引き起こすのは、悲しみや怒りや恐怖を無意識に抑圧し、その感情から意識をそらせるために、身体のどこかに痛みを引き起こすのだという。

 

失業への恐怖、老後資金への不安、理不尽な上司への怒り、転職なんて無謀なことをした夫を攻めたい気持ち。これらを全部私は心の中に思いっきり押しこめていた。憔悴している夫にこんなことをぶつけるわけにはいかんもんね。

 

痛みに耐えている間は、もう自分のことで精いっぱいだ。歩いて3分のところにある整形外科に15分掛けて通ったくらいだ。すり足で歩くから時間が掛かったんだとにかく。あとはずっと家で寝てた。

 

気持ちが身体に与える影響の大きさを痛感した。

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15年後の今、実はまた原因不明の痛みに悩まされ続けている。

左胸部の痛みに悩まされるようになってもう1年半だ。痛みは突然現れた。ぶつけたり転んだりしたわけじゃない。場所は左の一番下のろっ骨の上くらいだ。

骨密度測定もしていたけど、標準よりも少し密度が高いという判定だ。くしゃみや咳で骨折することも考えられない。

しばらく様子を見たけど全然治らない。呼吸をするのも寝返りを打つのも痛い。目が覚める程に痛い。

 

原因が骨だとは限らないので、とりあえず総合病院に行った。レントゲンだけでなく、心臓が大丈夫かを確かめるために心電図もとった。どちらも異常なし。医者も「分からん」と一言。結局何の痛みなのか分からず時が過ぎた。

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さらに、手首のねんざの痛みも長く続いている。

この4月に与那国島に行った。日本の最西端にある沖縄の離島。「ドクターコトー診療所」というドラマ撮影が行われた島だ。

着いてすぐにバイクで転倒し、両手首を捻挫してしまった。すぐに本当の与那国診療所に向かった。骨は折れてない。湿布を渡されて戻り、湿布の上から冷蔵庫の氷で冷やしまくった。まあまあ痛いなりにも生活に支障がない程度ではあった。

 

ところが、あれから3カ月経とうとしているのに痛みが引かないんだよ。

年齢のせいもあるんだろう。子供の時のようにすぐにけろっと治ったりはせんだろうと私も思ってた。それにしても長い。一体どうしてた。

手首を酷使する仕事をしてる訳ではない。家事は夫がほとんどやってくれている。

なのに痛みが引かない。

手首もろっ骨周辺の痛みもずっとそのままだ。

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ふと、以前通っていた よく効くことで有名な鍼の先生を思い出した。3度通い、ろっ骨周辺の神経を締めつけている背中の筋肉をゆるめてもらい、両手首にも鍼を打ち、痛みが比較的マシだった右はほぼ大丈夫になった。

その先生は「○度目で治らなかったら別の病気かもしれないから、鍼以外の方法も考えた方がいい」と最初に伝える先生だ。私の肋間神経痛に関しては3度目だと言われた。

 

ところが治りきらない。最盛期の半分以下にはなったけど、まだダメだ。このままもう1回行くか迷っていた昨日、昔読んだ『ヒーリングバックペイン』を思い出し、いま読んでいる最中だ。

 

ひょっとすると今回の肋間神経痛が治らないのも、心の中に何かネガティブな感情を抑え込んでいるからではないか。本を読み返し、思いつくことを紙に書き殴り、自分の気持ちの奥を探ろうとしている最中だ。

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そういや、昨年から今年にかけての冬は、狭心症のような症状に悩まされてた。心臓には全く異常がない。こちらはあっさりと解決した。私が仕事量を減らしたことであっさりと心臓は楽になったからだ。

 

当時の心境はこうだった。

「私は障害年金をもらう身になった。健常者じゃない。人生の時間は短いかもしれない。もう無理に働くよりも、いつ脳出血をしても後悔がないよう、仕事なんかしてる場合じゃない、やりたいことを早くたくさんやらないと。

あああ!なのになんで今日は仕事なんだよ、カネよりも時間をくれよ。食えればそれでいいんだよ。誰か代わってくれよ、仕事あげるから代わりに行ってくれ!」

 

で。

今回の肋間神経痛の原因、簡単なねんざがいつまでも治らない原因。

今回は困ったことに、これといってはっきりした出来事が浮かばない。

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さっきふと心に浮かんだのは、

「私の身体には価値がない」

この一言だった。

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なぜそんなことを思うのか。

夫の仕事は順調だ。65歳になった今、自室をオフィスにして仕事を請け負って好きな仕事をしている。夫婦仲も良い。痛みに悩まされる前から家事は率先して夫がやってくれている。今の私を悩ませている原因は何だろう。

これが分かった時に、私の身体の痛みはまた消えてなくなるのかも知れない。

 

肩こりや腰痛を発症するのは、責任世代の40~50代が多いそうだよ。

 

心の痛みが身体に与える影響はかくも大きいものなのか。

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でも、長く続く痛みが全て心のせいとは限らないので、まずは必ず病院へ行って下さいね!

もし鍼灸などの東洋医療の門をたたくなら、効果がなく不愉快な思いをしないよう、私の個人的経験から鍼灸院の選び方のポイントを別ブログにまとめました。なんかの参考になれば幸いです。

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AmazonアソシエイトとGoogleアドセンスに 10記事で一発合格した

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私は書いているブログの1つをAmazonアソシエイトGoogleアドセンスの審査に出してみた。Wordpressでaffinger5というテーマを使い、独自ドメインで書いているブログだ。

ここじゃないよ。ここは無料版を使わせてもらってるから、審査対象外なんだ。

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Wordpressに手を出したのは、夫の会社のサイトとブログを作るのに、高い金を出して外注したくない一心からだった。会社とはいっても、いわゆる「ひとり社長」の会社。つまり従業員がおらず、夫ひとりで働いている。

実務をしながら営業活動に飛び回れるほど、うちの夫はもう若くない。元々営業畑の人間でもない。優秀な営業社員を雇う資金もない。

仕事の依頼先は大抵は海外企業。彼らは日本の大手企業にコンタクトをとる。その下請け先として夫は仕事をしている。

でももし、言語翻訳機能を実装したHPを作り、検索上位に上がるように工夫ができれば、大手を通さず、直接うちに仕事が流れてくる、といいな(笑)というもくろみを抱いている。叶うといいなほんとw

つまり、会社ブログを営業社員の代わりにしようと。

 

とにかく、素人でもそこそこのものに仕上げるためには、Wordpressの使い方に慣れないといけない。そこで、私のブログをWordpressでも作り、色々実験することにしたんだ。AmazonアソシエイトGoogleアドセンスは、きちんとブログを作れてないと合格しない。

 不合格だったらブログを見直し、また不合格だったらさらに見直し、どうすればいいブログになるのかを知ろうとも思った。

もし合格できたら、自分が使って「これはいい!」と思ったものだけを選んで、ブログに紹介しよう。同じような悩みを抱えてる人の目に止まればいいな、という気持ちを込めて。

さて、いつになるか分からんけどね。と思いつつ申請ボタンを押してみた。

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ところが。

ありがたいことに2つとも、半日ちょっとで合格の連絡が届いてしまった。調子に乗り、ついでにツイッターの方も合格するかチャレンジしたら、40分で合格通知が届いてびっくりした。

記事数は10本で挑んでみた。不合格になった時、大量に記事があると、見直しが大変だからね。通常は20~30記事くらいで挑む人が多いと聞くけども。

何が評価されたのかよく分からんけど、申請に掛かる時間も、他の人よりもぐっと短かった。1週間待った人もいるみたいだ。私が知る限り、40分で返事が来た人はいないっぽいよ。

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アドセンスやアソシエイトへの合格を目指しておられる方のお役にたつかもしれないので、具体的な申請手順などをかいたページを下に貼っておくね。必要な人のところに届くといいな。

「あんな記事レベルでも合格できるんだよw」というネタとして、記事も読んでみてください♪ 何がよかったのか私には見当がつかないんだけど、なんかの足しになれば幸いです。

  

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ところでね。

ブログでお金を儲けるためのノウハウ書いてある本とかブログを見てて思うんだけどさ。

毎日1記事必ず書けとか、ツイッターのフォロワー爆増テクとか、色々あるみたいだね。本気でブログ飯を食おうとするなら、そういうノウハウは大事なんだろうね、厳しい世界だと思うから。

でも、毎日1記事、しかも働きながら1記事。そんなに大量生産したら記事が荒れると思うんだよな。書けば書くほど上手くはなるから、たくさん書くのは悪いことじゃないとは思うんだけど。

 

生活掛けてブログだけで食っていく!という人は、早くアドセンスとかアソシエイトに合格する必要があるよね?なら、ムダに荒れた記事を量産するよりも、毎日じゃなくて全然いいので、丁寧に見直しした精選記事で一発合格を目指すのも一つの道なんじゃないかと思うんだけど、どーかね? 

大学に通う最適な時期はいつだろうか

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高校を卒業したらすぐに大学。日本ではそれが当たり前だと思われている。はっきりと将来の夢が決まっている高校生ならそれでもいい。例えば看護師。体力勝負の専門職なので、現場に出るのはなるべく早い方がいいだろう。

しかし、将来の夢が固まっていない段階で志望校を決める高校生の方が圧倒的に多いのではなかろうか。新卒一括採用というシステムに合わせて就職するためには、そうせざるを得ないもんな。とりあえず、進学履歴にブランクを開けないことが最優先だ。

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私は今年の春から法政大学で行われている「沖縄学」という講義を聴講している。法政大学の学部生向けの授業に入れてもらってる状態だ。単位はとれない。けれど面白い。自分が学びたいことを知る前に、偏差値や受験科目で進学先を決める今のシステムは、ある種、若者の飼い殺しだな、と思いながら、いつまでたっても止まない私語に辟易しながら座ってた。静かに聴けや。

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沖縄はかつて独立国だった。独自の言語を持ち、中継貿易で栄えていた国だった。そこにじわじわと日本本土から支配の手が伸び、最後には廃藩置県の時に国を潰して、沖縄県として日本の一都道府県になったという経緯がある。戦後はアメリカ領となり、1972年にまた日本に戻ってきた。こういう歴史の波にもまれていく中で、独自の言語を話せる人がどんどん減っている。

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私はとある理由から、かつて沖縄で使われていた言葉(琉球語と呼んだり琉球諸語と呼んだり、ウチナーグチと呼ばれたりする言葉)を勉強してみたくなった。私は当時もう49歳になっていた。

モノ覚えが悪くなる時期だ。どんだけ身につくか分からない。そもそも沖縄県内でも話せる人が激減してる言語を、沖縄県外の人間が勉強しても一銭にもならない。冷静に考えれば、その労力を中国語の勉強にでも回した方が建設的だと思う。

勉強したいという心の底からの気持ちってのは、お金になる・就職に有利、といった打算的範疇を越えたところにあるんだね。

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これを書いている時点で私は53歳になる。実は色々と困ることが出てきた。

当たり前と言えば当たり前なんだけど、質問できる相手を見つけるのが大変なんだ。最低限の意思疎通ができるところまで勉強をしてきたものの、そこから先になかなか進めなくなってきた。

 

SNSでお知り合いになった人達の中には、自由に読み書きできるネイティブの人達がいる。とてもありがたい。色々教えてもらった。自然に身につけて使い続けてきた人達だから、生きた言葉を教えてもらっているわけだ。けれど、自然に覚えた人達だからこそ、一々文法のルールを勉強して話してる訳じゃない。

「これは形容詞ですか?」「連用形にするとどうなりますか?」みたいなことを尋ねると非常に困られる。非ネイティブで、周囲で全く使われてない言語を大人になってから習得するには、文法のルールはきっちり分かってないといけない。

ここで齟齬が生まれるんだな。

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そして、琉球文化にこだわりを持っておられる人の中には、内地の人間にいい感情を持っていない人が少なからずおいでになる。歴史の流れ上、それは仕方のないことだとは分かっていても、私個人にどうしろというんだよ、という場面がこれまでに何度もあったんだ。

あまりご迷惑になることはできない。不愉快な気持ちになることなく勉強がしたい。もう少し壁をぶち破りたい。

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そんな折に、法政大学に沖縄から言語の専門家がやってきたわけだ。私が使ってきた参考書の執筆者でもある。琉球大学で研究し、現在は沖縄県立芸術大学で教べんをとっておられる方だ。これは朗報だ。ありがたい。

 授業後に私は一枚の紙を持っていった。中島みゆきの「時代」の歌詞をウチナーグチ訳したものだ。

うなれーしーぶさるぐとぅぬ みっちゃいあいびーしが、ゆたさいびーがやーたい?(教えていただきたいことが3つあるのですが、よろしいでしょうか)」

と声を掛けた。少し顔が曇ったような顔をされた気がする。気にしたら負けや。厚かましくも訳詞をお渡しし

うれーわんがちゅくたるむんやいびーしが、うちなーんかいあいびーる大学うてぃびんちょーしーぶさんでぃうむとーいびーん。ちゃーやみせーが?(それは私が作ったものなのですが、沖縄にある大学で勉強したいと思っております。いかがなもんでしょうか?)」

と、意見を求めてみた。

 先生はさらに険しい表情になった(気がする)。歌詞をじっと見ながら

「この表現は琉歌では使うけども一般的ではない」「これも通常の会話ではあまり使われない」

いくつかダメだしをなさった。

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これや。こういうのを知りたいねん私は。

 

ぱーっと心が晴れていくのを感じた。

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実は法政大学のこの授業を受講する前から、沖縄県内の主要大学にメールを送り、シラバスと時間割表を入手していた。

 

とある大学では、授業開始時にウチナーグチで先生に挨拶できれば20点もらえる、と書いてあった。

○○しんしー、ちゅーんゆたさるぐとぅうにげーさびら(○○先生、今日もよろしくお願いします)」

とかでいいんだろうか。これで20点もらってもありがたみがないな。沖縄に行かなくても本で勉強できる。

どうせなら県内唯一の国立大学である琉球大学にチャレンジしようと思い、「時代」の歌詞を添付してメールを送信したところ

「あなたの方が上手です」

と体(てい)よく断られてしまい、これはどうしたものか・・琉球大学ウチナーグチを扱っている科目は以外に少ないんだよ。文法的な質問ができそうな科目はこれくらいだ。私学は学費が高すぎて無理だしな。

と思っていた矢先に、ガンガンダメだししてくれる先生がいることを知ったわけだ。

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その先生が担当される授業のシラバスを見ると、文法をしっかり指導して下さり、時々はウチナーグチネイティブのご老人を授業に招き、その人にウチナーグチで質問ができる機会があるそうだ。願ってもない理想的な授業を、県立芸大で行っておられる。

その大学に在籍中の知り合いの子に聞くと、大学の規模が小さいので、定員オーバーで授業がとれないなんてことはない、とのことだ。 

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18歳で通いはじめた大学では、何を勉強したいのかが漠然としたまま4年間を過ごした。単位はとったものの、これや!と心に響く分野が分からぬまま卒業の卒業だった。無駄な時間だったとはもちろんいわない。けれど、頭が柔軟で記憶力もいい時期だっただけに、もっと勉強の醍醐味を知りたかったな、という気持ちが今も心に残っている。

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日本も、社会に出てから、必要だと思った時点で大学に入学し、キャリア形成する社会になればいいのにな。学びたいことが即その人の仕事に役立つものであろうとなかろうと。

学びたいことがはっきりしないのに、安くはない学費を払いこんで、就職への切符を手に入れるなんて面白くない。コスパも悪い。

 

何歳になっても大学に通っていいじゃないか。社会を経験する中で、自分が必要とする学問の方向性がはっきりしてくるだろう。

カネにならんことを勉強したくなってもいいじゃないか。むしろそのほうが自然でさえある。

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内地のオカンの癖になんでウチナーグチを勉強してんだよ、いつも色々質問してきやがってと、先生にはまた渋い顔をされるかもしれない。ご迷惑にならない範囲で容赦なくダメだしをしてほしい。

私は次のウチナーグチ検定試験を受けようと思っている。そして沖縄県立芸大で開講される、その先生の講義に混ぜてもらうのを楽しみにしている。来年の春がとても待ち遠しい。

 

オカンがこんな夢を持ってても、ええやんか。ヘンなナイチャー(沖縄県外の人間)やと思われても全然気にならん。検定試験に合格したら、沖縄タイムス琉球新報で、変人ナイチャーとして紹介してほしい。わはははは。

伴侶にも適材適所ってのがある

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私と結婚する前に、夫は歯科医の娘さんと見合いをしたそうだ。もう25年も前のことだ。当時の歯医者さんは、ほぼもれなく結構お金持ちだった。

 

その人とは2度会ったそうだ。その後すぐに向こうから断ってきたらしい。間に入った人の話によると、夫宅の様子を外から見てきたという。

 

夫の実家は非常に古い木造住平屋建て。綺麗好きな義母と、あの時代の男性には珍しく家事が全部できる義父との二人暮らし。確かに家は古くて小さい。しかし中はしっかりと手入れが行き届いていて、居心地のいい場所だった。

ただ確かに、贅沢ができるお宅には見えんかったな(笑)

 

事情はともあれ、どこの歯医者のおじょーさんかは知らんけど、よくぞ断ってくれた、と私はひっそりと感謝している。

 

本を買う以外にお金を使うことがない夫は、金銭的に堅実。そして、男の沽券だのプライドだのといった面倒で幼稚なものとは無縁な人だ。ひとり暮らしが長かったので、家事は一通りできる。自分のことは自分でやるっていう考え方がずっと残っている。

 

結婚後に私は脳血管奇形を発見され、少し自由にならない生活を送っているけれど、できないことはお願いしなくてもすーっと全部片付けてくれる。恩を着せることなく。そして

「調子がよくないときは睡眠が足りない。脳は休ませないといけない。はやく寝て」

と睡眠を促す。夫が私に強い口調で話すのは、私が寝不足になることをしようとしてる時だけだ。

 

ほんとうに見合いを断わってくれてありがとう。イヤミで書くわけじゃない。

 

私は金持ちの生活に疎い。歯科医の娘さんがどんだけ贅沢ができるのか全く想像できない。給食費まで免除される暮らしをしていた私には、お金は普通に生活ができる分だけあればそれで事足りる。

 

あれから四半世紀経ってるけど、夫は身体に気をつけている成果が出ているのか、年齢マイナス20で通用する外見のまま年齢を重ねてきた。

私より一回り年上で、もう老齢年金をもらう年齢になったけれど、やりたくて仕方ない仕事に追われてとても楽しそうに過ごしている。どうやら、業界的にその仕事は、日本では実質うちの夫しかやってない仕事みたいだ。

 

仕事場は自宅。パソコンがあればどこででもできる。固定費いらない。在庫いらない。人を雇わなくてもひとりでできる。身体と頭が動くうちは、仕事をやりたくて仕方がないと言っている。

 

まあ、価値観は人それぞれだ。伴侶にも適材適所ってのがある。お金に余裕がある暮らしに慣れている人には、夫のような人間と暮らすのは辛かろう。逆に、本だらけの部屋でパソコン打って黙々と仕事をするのが好きで、半額シールが貼られてた寿司だのバナナだのを買ってきて喜んでいる、そんな夫がありがたい私みたいなのもいる。

 

よくぞ残しておいてくれた。

 

他人さんからみてどうこうじゃない。自分なりのものさしで夫を測り、自分が納得できるなら、それはいい結婚をしたってことだ。

 

ありがたい人生だ。