●心の中の森を行く●

生きた証を残したい。私が言葉を忘れる前に

ひとりが楽しくて何が悪いんだろう

今週のお題「自己紹介」

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人はひとりでは生きられない。確かにそれは事実だと思う。身の回りのことを全部人の手に委ねて生きている乳幼児の頃は勿論のこと、学生時代・社会人生活・定年後の暮らし、そしてこの世を去る瞬間まで、我々は他人と何らかのかかわり合いを持って暮らしている。

 

しかし人とのかかわり合いが、往々にして不快感の源になることも事実だ。しかも避けられないものであればあるほど、そこから生じる苦痛は益々強くなる。

 

学生時代は様々な「班行動」を強制される。体育の授業・文化祭・修学旅行などなど、とにかく気が合う合わないにかかわらず、どこかに所属しておかないと学校生活に大変支障をきたす。通知表に「協調性がない」などと書かれ、教師からの覚えも好ましからず、ひいては内申書に何らかの悪影響があるのではないかとひそかに怯え、仕方なく明るくて友達の多い子に見せようと頑張って疲れてしまったりすることはないだろうか。

 

社会人になったらなおのことだ。会社組織に属せば否応なく、同僚・上司・部下・取引先・顧客といった多種多様な立場の人達と、良好な人間関係の構築が求められる。組織を嫌ってフリーランスになっても同様だ。いや、組織という後ろ盾がない分、仕事関係の人間とよりしっかりした関係を築いておかないと仕事が回ってこない。学生だったころと比べ、このフェーズでの人間関係は重要だ。どういう形であれ、年金や生活保護その他の不労所得を得ている場合などを除けば、生活費を稼がなければ生きていくことが非常に難しい。

 

子育てをする時も似たようなものだ。子供が生まれる前のプレママ期からそれは始まる。プレママ教室で同じ場所に集まっている妊婦は、数ヵ月後に同じ歳の子供を持つ近所の知り合い、つまり将来のママ友候補。ママ友との人間関係は、大体は子供が小学校を卒業するころまで続くことが多いようだ。勿論、ママ友がいなくても何とかなかったりもするけれど、アンオフィシャルな情報が届きにくかったりするのは事実ではなかろうか。

 

その他にも、自治会という名の地域活動、習い事、ボランティア・・枚挙にいとまがないほど、我々人間は多くの他人と付き合うことで生活することになる。

 

これだけ雑多な人間関係の輪の中で円滑な人間関係を構築する為には、当然、気が合わない人とムリに付き合わねばいけないことも多い。勿論そういう活動の中から、真の友人といえる人と出会うことも少なからずある。そこは否定しない。それでもやはり、どこかの組織に属す以上、苦手な人との付き合いをゼロにすることはできない。そして、やりたくないことを引きうけるハメになることも少なくない。というか、そういうことの方が圧倒的に多い。そんな気がする。

 

だからこそ、本当に楽しいと思えることは、完全に自分のペースとセレクトで楽しむべきだと私は思うんだ。周囲の人に多大な迷惑を掛けない範囲であれば、人の都合を忖度する必要なし。気をつけるべきことは自分の都合と体調だけ。こんな開放的な楽しみ方があっていいし、あるべきだと思う。

 

ひとりでいることを「非リア」「ボッチ」、古くは「根クラ(根が暗い、つまり性格が暗くて楽しくなさそう)」と呼んでいるようだ。でも果たしてそうだろうか。この世の中の楽しいことは、多くの「友人」と共にいないとやってこないものだろうか?

 

私の答えは「否」だ。ひとりでなければ味わえない楽しさ。この世にはそういうジャンルの楽しさが沢山ある。

 

勿論、他人との交流が大好きな人をdisる気なんて毛頭ない。私自身も、他の人と楽しいひと時を過ごすのは大好きだから。でも、ひとりで何かをやっていることは全く恥ずかしいことではなく、むしろ人生の楽しみを広げることにつながる。そんな風に私は思っている。

 

このブログは、そういう人間が日々どんなことをし、どんなことを考えているのかを徒然に書き散らかす、そういう場として使いたいなと思っています。

 

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