●心の中の森を行く●

生きた証を残したい。私が言葉を忘れる前に

独り旅の「独」は「独立」の「独」

f:id:samarka:20180522134126j:plain


十代後半から二十代半ばの数年間は、人生の方向性を決定づけるほぼ最後の時期だ。高校生の頃の私はそう思っていた。だから、時間とお金を自分の裁量で使えるようになる時期(大学生)がきたら、絶対に海外独り旅をしようと決めていた。

 

地縁も知り合いも皆無な土地で、泥臭くもがきながら試行錯誤することによって、今の自分の素(す)の力を猛烈に試したかった。その理由は、次回以降の記事で少しずつ書いてみようと思ってる。

 

頼りになるのは、コミュニケーション能力や語学力もさることながら、自分の人間性と度胸。コネや家の裕福さなどが一切通用しない旅をすることで自分の値打ちが分かる。そう信じていた。

 

私が頻繁に旅をしていたのはバブル期を挟んだ数年間。当然ネットなんてない。家でFaxの送受信ができるようになったのですらもっと後のことだ。日本ですらそうだった。国によっては国際電話を掛けられる場所すら見つからなかった。やっと家に電話を掛けることができた!と思ったら、日本からの声が数秒遅れで聞こえてくる。昔の衛星中継ってこんなだったよね。こういう面倒かつ非効率で混沌とした国ほど自分のサバイバル能力を試される。自分がどんな人間なのかが見えてきそう。面白い。これは面白いぞ。私はわくわくした。

 

というかね。自分がどんな人間なのかを知らなければ、これからも続く長い人生を楽しく生きていくことはできんよな、と思ったのよ。

 

「あなたはどうしたいのか」を問われる場面は年齢が上がれば上がるほど増えてくる。「自分」を知っている人ならば、自分を幸せにするものや環境を選びとることができ、その人なりの幸せをつかみとっていくことだろう。時と共にその選択が自分に合わなくなったら、またその時の自分にとって最善なものを選び取ることができよう。

 

その一方で「自分」を把握できていない人は、「普通はこうする」「世間の目というものがある」「友達に羨ましがって欲しいな」などと、他人基準で幸せを選んではいないだろうか。それは本当にあなたを幸せにしてくれるだろうか。世間というものは移り気で無責任なものだ。これからもずっと、世間はあなたを幸せな人認定し続けてくれるだろうか。

 

だから、「他人がどう思おうと、自分はこれが幸せなんだ」と言いきれる人生を送りたいなら、人は自分というものにしっかりと向き合って自分を知らねばならない。そして人生の重要な決断を他人に委ねてはいけない。

 

親の顔に泥を塗るなと言われようと、私は私の人生を自分で背負える人になりたいと思った。そもそも、親の顔に泥を塗らない娘ってのはどーいう娘なんだ?当時の「常識」とされていたものを書いてみるなら、高卒か短大卒。四年制大学に行くなら私立のお嬢様女子大まで。え?四年制の国立大学!?ダメダメ、男が怖がって貰い手がなくなる。生け花みたいな花嫁修業的な習い事をして可愛い服を着て、「ぜひお宅のお嬢さんをうちの嫁に!」と言わせたら、娘を育てた親としては成功(笑)だったんだろうかね。うちの親、子育て大失敗じゃんw

 

周りからはさぞ変人娘だと思われてたことだろう。でも、人の生き方にとやかく的外れな助言をする人ほど、いざとなった時にはしらんぷりするものだ。子供の頃からそういう人達を沢山見てきた。だから相手にしなくていい。言わせるだけ言わせておいて、にっこりとあしらっとけばいいの。

 

不思議に思う方もおられるかもしれないけれど、私の親は全く反対しなかった。彼らは私のことをよく分かっていたからだと思う。

 

ただ私の方も、いきなり海外にぽーん!とでていくような真似はしなかった。まずは隣の都道府県である京都に3日。次は信州、東京、北海道、と少しずつ距離と日程を伸ばして「実績」を積んでいった。親の心配は少しでも和らげてあげなければならない。

 

最初のターゲットは、改革開放路線を打ち出し始めた頃の中国本土。鄧小平が指揮をとっていた頃だ。共産圏で今、何が変わりつつあるのか。それを自分の肌感覚で知りたくなったからだ。なので、大学で第二外国語をもう一度とりなおした。既にドイツ語で単位修得は終わってたんだけど、下級生に交じって中国語の授業を履修し、独特の発音の仕方を徹底的に学んだ。たとえすげーカタコトであったとしても、正しい発音で話すことの重要性は、その後の独り旅で何度も経験する。

 

しっかりした文章を話せるようになっても、発音が悪すぎたら全然伝わらないからね。逆に、情けないほど簡単な単語しか知らなくても、それがきちんと伝わればコミュニケーションが成り立ち、それを繰り返しているうちに耳が慣れ(これも正しい音を知っているからだ)、相手に質問ができるようになったら、さらに新しい知識を現地で学ぶことができる。発音の訓練、とっても大事。

 

国境を超える時に日本から持ち出すのは、パスポート・お金・最小限の衣類と洗面道具類。あとは現地調達。どうやらこの国では手にはいらなさそうだなと思われるものがある場合には、それもカバンに入れておいた。

 

世の多くの同世代女性が、おかしな扇子を振って高いところでパンツ見せながら踊ってる時、首のところが半分のびちゃってるような古いTシャツを着て、小ぶりのナップザックを肩にかけて私は歩いていた。

 

「ひとり旅」は「一人旅」ではなく、敢えて「独り旅」と書いていきたい。

 

ひとりで旅している人のことを、同行者がいない孤独な人と考える人もいるだろう。しかしそれは違う。

 

独り旅の「独」は孤独の「独」ではない。独立の「独」だと私は言い切りたい。