●心の中の森を行く●

生きた証を残したい。私が言葉を忘れる前に

将来必ず独りで海外に出ようと決めた女子高生の胸の内

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「海外での独り旅を通じて自分がどんな人間なのか知りたいだと?なぜそんな危険なことを?親御さんはなぜ止めないんだ。非常識じゃないか。娘が可愛くないのか?」

 

「別に海外でなくても、自分と向き合える場所なんていくらでもあるでしょうに。友達とわいわい楽しく旅に行きたいっていうならまだしも。あなた大袈裟なのよ。もっと肩の力を抜いて生きてかないと面白くないわよ」

 

こんな風に思った人は少なくないだろうな。ひとつ前の記事を書きながらそんなことを思っていた。

 

今日は、なんでこんな修行僧みたいな旅をしようと思ったのかを、少しフェイクを交えて書き残しておこうと思う。

 

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私が6歳だった冬のことだ。脳血管の奇形部位を切除するために、父は手術を受けることになった。放置すれば大出血を起こしていつか死ぬ。手術をすればそのリスクはなくなるだろうが、確実に半身不随の障害者になる。それでも父は生きることを優先して手術を受けた。

 

その後懸命にリハビリを続けたけれど、左の手足が機能を取り戻す日はやってこなかった。身体障害者手帳には2級と書かれていた。身体障害の等級は、1級が一番重い。

 

足を固定する特別な靴を履いても、父はよたよたとしか歩けない。ひとりでの外出は危ないので、私はよく父と一緒に外を歩いていた。

 

ある日、道の向こう側から大人の男が数人歩いてきた。こっちをみて不愉快な笑い方をしている。嫌な予感はした。でも一瞬のことでどうすることもできなかった。押し倒されて地面に倒れている父は、そいつらの笑い声と罵声を背中で聞いていた。

 

これが世間か。

 

父が障害者になってしまったことは、よく近所の噂の種になっていた。信じられないことに、手足の麻痺は感染するとまことしやかに言う人もいた。昼間から酒を飲んでフラフラしてる人から「お前のお父ちゃん、アホやから頭の手術したんやろ?w アホは遺伝するからなあ。将来お前もアホになるでえー!」と言われることもあった。一番堪えたのは、今まで仲良くしていた友達のお母さんたちが「もううちの子と遊ばないでね。感染させられたらたまったもんじゃないからね」と大声で私を追い払ったことだ。

 

これが世間か。

 

私がどんな人間なのかを分かってもらう前に、この子は可哀想な家の子、近寄らない方がいい子、将来アホになる子、というレッテルを貼りにくる。世間は好き勝手に私が何者なのかを決めつけにくる。

 

そんなレッテルを剥がしたかった。小学校に入学したらテストがある。いい点数を取り続ければ、私も父もアホ扱いされずに済むだろう。文字を覚えるのが早かった私は勉強が苦にならなかったので、学校の勉強をしっかりやるようにした。結果は点数となって誰にでもわかる形で証明される。私は勉強ができるいい子。私を見る周囲の大人の目ががらっと変わった。手のひらを返すというのはこういうことを言うんだろうな、と心の中で悲しく笑った。7歳だった夏のことだ。

 

これが世間だ。

 

父は職業訓練校に通ったけど、折からの不況で仕事は全く見つからなかった。生活費は障害年金。私が学校に払ってたのは修学旅行の積立金だけ。福祉住宅は家賃月額8100円。色んな社会福祉制度のお世話になりながら私は高校生になった。レッテル剥がし目的の勉強のお陰で、私は学区トップの進学校に通うことができた。

 

しかしお金の問題は簡単には解決できない。私の下には体の弱い弟がいる。学校を休みがちだったから勉強ができない。こいつの進学には金が掛かるだろう。なけなしの貯金は弟の将来の為に残しておかねばならない。

 

私の高校で四年制大学に進学しない人はほぼゼロだ。公立高校ではあったけれど、医者や大企業の重役を親に持つ経済的に恵まれた子達が多かった。私もクラスメートと同じように大学に行き、自分の人生を自分の手で切り開いていきたい。彼らのように親の経済力や社会的地位の高さに頼ることはできないけれど、勉強ができれば奨学金が貰える。国立大学に行ける。運が良ければ学費免除にもなる。私が成り上がる手段はこれしかない。そう思って私はさらに真剣に勉強した。

 

実力テストが終わるごとに、成績が職員室前の廊下に張り出される。各教科・全教科、それぞれ上位20名の名前が明記されている。私はそこの常連だった。

 

私は人生の一発逆転を賭けて勉強している。ただそれだけだ。でも私の家庭の事情なんて、学校の大多数の子は知る由もない。女の癖に生意気だから潰そうぜ。そんな男子生徒のグループには手を焼いた。

 

世間というのは色々と厄介だ。

 

色んな色眼鏡で人を覗き、時には嘲笑し、時には気持ち悪いほど持ち上げ、時には憎しみをぶつけてくる。目まぐるしく変わる世間の評価。私は一体何者なんだろう。本当の自分はどういう人間なんだろう。10代の私は常にそんな疑問を自分にぶつけ続けていた。

 

親のことや家計の問題など全てをとっぱらうことができる場所はどこだ。もしそんな場所が見つかったら、自分が本当はどういう人間で、何をして生きていけば幸せになれそうな人間なのかが分かるんじゃないか。

 

自分が何者なのかを決めるのは自分だ。世間という名のモンスターに私を裁く権利はない。世間に負けない自分になりたい。これまで私をころがし続けてきた日本の世間・日本の常識というのは、本当に本当に正しいものなんだろうか。それを知るためには、一度は日本の外に出なければならない。

 

大学に合格した。幸い学費は免除され、返還不要の奨学金をいくつも頂いた。家庭教師のバイトをいくつか紹介してもらい、学費や生活費にあてがいつつ、私は少しずつ旅費を貯め始めた。

 

時代はバブル。大学生の家庭教師なのに、1時間で1万円も貰える時代だった。私が旅に出られたのは時代の後押しが大きい。私は時代に恵まれた。

 

今でも私は独りで旅をする。夫は諸事情を知っているので全く引き留めない。行けるうちに心おきなく行ったらいいよ。ただそういうだけ。私は夫にも恵まれた。ありがたいことだ。

 

「世間」というものは硬い岩盤のようなものではなく、視界を遮る濃密な霧のようなものだ。近くを見るのがやっと。迂闊に歩き続けたら何かと正面衝突を起こしかねない。じっとそこに立ちすくむ。見えるのは白い霧の壁だけ。それが世界のすべてのように見えてくる。

 

しかし霧の正体は非常に細かな水滴の集合体に過ぎない。白い壁に手を伸ばしてみても何の手ごたえもない。かき分ける動作をすれば、その部分の「壁」はふわっと容易に移動する。慎重に目を凝らし足元の安全を確認し、そろりそろりと歩き続けていけばいい。段々視界が明るくなるのが分かるだろう。そして完全に「霧」を抜けた時、散々自分を悩ませ続けていたものの正体を知る。

 

にっこり笑えばいい。そして、摺り足でそろりそろりと歩くのを止めて、元気よく前を向いて歩きだせばいい。

 

人生、捨てたもんじゃない。光ある方向に進め。