●心の中の森を行く●

生きた証を残したい。私が言葉を忘れる前に

人生はパラグライダーで大空を舞うがごとく

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人生はパラグライダーで空を飛ぶのに似ている。

 

飛ぶためにはまずどこかに登らねばならない。これが子供時代。

 

子供の頃から夢や人生の目標が明確な子達は、周囲の助力や助言をもらいながら、自らの意思で山を登り、方角を定め、山肌を蹴るタイミングを冷静に計って飛び立つのだろう。でもこんな理想的な子供時代を送れる人は多くない。そしてそんな彼らでさえ、頂上にたどり着く山道で何度も何かに躓いて倒れ、泥だらけになったり怪我をしたりする。それでも黙々と山を登り続け、やがては大空に向かって飛び立っていく。しかしながら、その飛行が成功するか失敗に終わるかは、飛んでみないと分からない。人生は無情だ。

 

一方で、登る山を自分で選ばせてもらえない人もいる。自分で選んだはいいものの、それが体力不相応な険しい山だったために、途中で体力が尽きて立ちあがれなくなってしまう人もいる。いい感じで登山道を登っていたはずなのに、突然滑落して大けがをしたり命を落としたりする人もいる。間違った地図を頼りに歩き続け、道に迷って行方不明になる人もいる。その一方で、自分はしっかりと登っていきたいと思っているのに、足を引っ張られて高みまで到達できない人もいる。さらには、そもそも空なんか飛びたくない、山に登りたくない、しんどいことはしたくない、そんな人もいる。

 

子供時代の思いは様々だ。けれど共通して言えるのは、どういう形であれ、ひとはいつか空に向かって飛び立たねばならない時が来るということだ。もし、いつまでも飛び立たず、ただただ時だけが過ぎていく人生を送っていると、その時間の長さがその人の心を絞めにくる。

 

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楽しく飛びたい。安全に飛びたい。綺麗な景色を楽しみたい。この3つの想いが満たされるのなら、できるだけ長く人生という空を飛んでいたいと思う人は多いんじゃないかと思う。中にはアクシデントとスリルがないと退屈だと感じる人もいるだろう。

 

今の今にも自殺したいと願う人は、これらの条件が満たされないまま空を飛んでいる状態だ。不快で恐怖や怒りに満ちた汚い世界に長く留まりたいと思う人はいないもんね。早く降ろして!と叫びたくなるのは当然だと思うよ。誰だって嫌だよ。

 

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飛び立った後の人生が幸せに着地できるものかどうかは分からない。いい風が吹いている日を選び、万全の準備をして山肌を蹴り、すいーっと運よく快適な風に乗ったと安心していたら、突然気流が乱れて墜落するかもしれない。

 

その逆もある。低いところから飛び立たざるを得ず、こんなんじゃそう遠くまでは飛べないだろうなと思っていたら、パラグライダーを支えてくれる風に恵まれて、運よく結構遠くまで飛べちゃうかもしれない。

 

自分で努力しなくても、誰かがあなたを乗せて空を飛んでくれるかもしれない。言葉はよくないけど他力本願な人生。それでもそのパラグライダーが順調に飛び続けていけるのなら、それはそれでよいのかもしれないね。私はそんな人生は嫌だけども。自分が選んだ山を自分の足で登り、「ここだ!」と思った場所とタイミングで山肌を蹴りたい。自分の力で飛ぶからこそ、自由気ままにに飛んでいられる。そう思うから。

 

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子供の頃の私は、とにかく高いところから飛びたいと願い続けていた。自分は障害者になってしまった両親の遺伝子を受け継いでいる。同じ疾患で苦しむ可能性は普通の子よりずっと高いはず。それでも、高いところから飛び立てば、地面までの距離が稼げるんじゃないかな。そしたら突然人生の高度が下がってしまっても、即墜落!ってなリスクは下げられるはず。軟着陸できる場所を見つける時間も稼げるだろう。勿論、高いところから一気に墜落してしまったら、その衝撃は大きい。命が助かったとしても、心に残る傷は致命的に深くなることだろう。さっきまで飛んでいた空の高さを思い、天を仰いで号泣するに違いない。でも後悔だけは残らないはずだ。たとえ何が起こったとしても。そう思って私は高い山を登ることにした。

 

どの山をどこまで登り、いつ山肌を蹴ればいいかについて、両親から具体的なアドバイスをもらうことはできなかった。友人達からの助言、本の一節、未熟ながらもこれまでの経験と勘を頼りに山を登り、そして社会に出た。

 

山肌を蹴って30有余年が経った。残念なことではあったけど、子供の頃の懸念通り、私も障害者手帳を持つ身になってしまった。私がこういう身体になったのは遺伝子のせいだ。両親がああいう身体になったのも遺伝子のせいだ。さりとて遺伝子を責めて何も変わりはしない。不運を嘆いて暗闇の中で膝を抱えて泣いているうちに、貴重な人生が終わってしまうかもしれない。それこそが人生最大の不幸だ。空を飛び始めた以上、自分が持っているものを総動員して、幸せに生きていけるよう頑張らなきゃ勿体ない。

 

確かに色々あった。それでも私は今も楽しく空を飛んでいる。自分で選んだ空を飛んでいる。だから幸せでいられるんだと思う。強がりではない。確かに引き継いだ遺伝子には少々問題はあった。そのせいでパラグライダーの高度はぐっと下がってしまったのも事実だ。それでも私は、自分が見たい風景を見て、心地よい風に包まれながら、自分が選んだ空を飛んでいる。

 

どんな空を飛んでもいい。自分が飛びたい空を飛べばいい。人様の人生の妨害さえしなければ。世間があなたをどう評価するかなんて大した問題じゃない。世間なんてものさしほどアテにならないものはないんだから。ものさしは自分の心の中にあればいい。そのものさしの目盛りを信頼できるものにするために、私達はしっかりと自分の頭でものを考えていかねばならないんだと思う。

 

今思えば、人生の選択を迫られる場面において、親の助言や助力に恵まれなかったことは、かえって私を幸せにしたといえるのかもしれない。