●心の中の森を行く●

生きた証を残したい。私が言葉を忘れる前に

ねこが逝った。おまえを拾った公園の花と共に<1>

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移動火葬車の窯が開いた。

 

「ここはこいつと最初に出会った場所なんだ。だからここで見送ってやりたくて」

 

ぬいぐるみのように軽く、軽石のようにごつごつした身体を抱きしめながら、私は家族の話をじっと聞き続けていた。

 

ここは幹線道路からほど遠くない場所にあるさびれた公園。周囲にあるのは、限られた人しか足を運ばないような公共施設だけだ。人家はない。夜になると、頼りない光を放つ街灯が、誰も通らない寂しい道をぼんやりとともす。昼間でさえこの道を歩いている人はほとんどおらず、夜はほぼ全くの無人地帯と化す。ここはそんな悲しい場所。

 

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18年前のある日、家族はジョギング中に足を痛めてしまったそうだ。家にたどり着く一番の近道はここだ。暗くて気味悪いけど、とにかく早く家に帰りたい。必死に足を引きずりながら怯えて歩いていたその時、公園の草むらが突然がさがさっと音を立てた。まずい。まずい。なんでこんな時に限って捻挫してんだよこの足は!歩け、とにかく歩け。何が動いた?いや、そんなことはどうでもいい。誰か、誰か助けてくれえっ!!

 

切迫する心と走れない足。がさがさした音は同じスピードでついてくる。うわああああああああっ!!と叫びそうになった瞬間、がさがさの正体が道路に転げ落ちてきた。小さな耳が立っている。それは、やっと通った人間を追って必死に走ってきた子猫だった。

 

野良猫だったのか・・・。小さいな。大丈夫か?

 

そろそろと近づいてみたが逃げない。むしろ猫の方から近寄ってくる。しかも野良猫とは思えないきれいな身体で。

 

「多分、飼われてたのに突然捨てられたんだよ。猫風邪もひいてないし、身体に傷がなかったもん。毛並みもきれいだった。人間を怖がらなかったのも多分、ひとに飼われてたからじゃないかな。可哀想なことするよな。こんな場所、誰も通らないじゃん。猫を捨てる瞬間を誰にも見られる心配もない。角を曲がれば幹線道路。車で来た人にとってはここは便利な場所だと思う。でも猫にとってはどうだ?ほとんど人が通らない場所に突然置き去りにされて、これからどうやって生きていけっていうんだよ。酷いじゃないか」

恐怖心は一瞬にして憐憫の情に変わったという。まだ「にゃあ」と鳴くこともおぼつかない小さくて温かい生き物を手のひらに載せ、家族はよろよろと家にたどり着いたそうだ。

 

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いま私の腕の中で硬く冷たくなっているのは、あの時あのまま消えていたかもしれない、ミッキーという白キジ柄の猫。私達と分かち合ってきたのは18年という長い時間。人間に換算するともうすぐ90歳。そう遠くないころにお別れがくる覚悟はしていたけど、それが今日なのか。なんで今日なんだ。大往生なんていう言葉は使いたくない。どんな言葉で修飾しようとも、大事な命との別れの辛さが癒されることはない。

 

私たち家族のそばには、しんみりとした言葉で話してくれるペット専門の火葬業者の男性が立っている。私たちの決心がつくまで、空気のようにそっとそこによりそってくれている。

 

戻ってきなさい。早く戻ってきなさい。なるべく似た柄の猫になって戻ってきなさい。初めて会った子猫の時の姿になって戻ってきなさい。

 

でもどうしても戻ってこれないのなら。

 

自分の代わりにこの猫を可愛がってくれ、とお前が思える猫を見つけて欲しい。早く見つけて欲しい。そして、どこに行けばその子と会えるのか教えなさい。お前の言葉はひとには分からない。だから神様か仏様に頼みなさい、翻訳してくださいと。翻訳して飼い主の心に届けてくださいと頼みなさい。お前の気持ちが届くまで、私たちはずっと静かに待ってるから。

 

骨格標本みたいになってしまったその身体を、長年使い続けた赤い毛布から、ひんやり冷たそうな白い板の上に委ねるまで、私はずっとずっと心の中でミッキーを諭していた。

 

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元気だった頃のぽってりした重みとふわふわと柔らかかった身体。私の手はあの感触をまだはっきりと覚えている。

 

あのころは。

あのころは。

あのころは。

 

たくさんの「あのころ」が心の中でこだまのように響く。この響きにゆったりと心を委ねることが、おそらくミッキーへの供養になる。だから、私が覚えている全てのミッキーと、今は心の中で思いっきり遊んでいよう。

 

泣いた。

おいおいと泣いた。