●心の中の森を行く●

生きた証を残したい。私が言葉を忘れる前に

大学に通う最適な時期はいつだろうか

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高校を卒業したらすぐに大学。日本ではそれが当たり前だと思われている。はっきりと将来の夢が決まっている高校生ならそれでもいい。例えば看護師。体力勝負の専門職なので、現場に出るのはなるべく早い方がいいだろう。

しかし、将来の夢が固まっていない段階で志望校を決める高校生の方が圧倒的に多いのではなかろうか。新卒一括採用というシステムに合わせて就職するためには、そうせざるを得ないもんな。とりあえず、進学履歴にブランクを開けないことが最優先だ。

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私は今年の春から法政大学で行われている「沖縄学」という講義を聴講している。法政大学の学部生向けの授業に入れてもらってる状態だ。単位はとれない。けれど面白い。自分が学びたいことを知る前に、偏差値や受験科目で進学先を決める今のシステムは、ある種、若者の飼い殺しだな、と思いながら、いつまでたっても止まない私語に辟易しながら座ってた。静かに聴けや。

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沖縄はかつて独立国だった。独自の言語を持ち、中継貿易で栄えていた国だった。そこにじわじわと日本本土から支配の手が伸び、最後には廃藩置県の時に国を潰して、沖縄県として日本の一都道府県になったという経緯がある。戦後はアメリカ領となり、1972年にまた日本に戻ってきた。こういう歴史の波にもまれていく中で、独自の言語を話せる人がどんどん減っている。

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私はとある理由から、かつて沖縄で使われていた言葉(琉球語と呼んだり琉球諸語と呼んだり、ウチナーグチと呼ばれたりする言葉)を勉強してみたくなった。私は当時もう49歳になっていた。

モノ覚えが悪くなる時期だ。どんだけ身につくか分からない。そもそも沖縄県内でも話せる人が激減してる言語を、沖縄県外の人間が勉強しても一銭にもならない。冷静に考えれば、その労力を中国語の勉強にでも回した方が建設的だと思う。

勉強したいという心の底からの気持ちってのは、お金になる・就職に有利、といった打算的範疇を越えたところにあるんだね。

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これを書いている時点で私は53歳になる。実は色々と困ることが出てきた。

当たり前と言えば当たり前なんだけど、質問できる相手を見つけるのが大変なんだ。最低限の意思疎通ができるところまで勉強をしてきたものの、そこから先になかなか進めなくなってきた。

 

SNSでお知り合いになった人達の中には、自由に読み書きできるネイティブの人達がいる。とてもありがたい。色々教えてもらった。自然に身につけて使い続けてきた人達だから、生きた言葉を教えてもらっているわけだ。けれど、自然に覚えた人達だからこそ、一々文法のルールを勉強して話してる訳じゃない。

「これは形容詞ですか?」「連用形にするとどうなりますか?」みたいなことを尋ねると非常に困られる。非ネイティブで、周囲で全く使われてない言語を大人になってから習得するには、文法のルールはきっちり分かってないといけない。

ここで齟齬が生まれるんだな。

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そして、琉球文化にこだわりを持っておられる人の中には、内地の人間にいい感情を持っていない人が少なからずおいでになる。歴史の流れ上、それは仕方のないことだとは分かっていても、私個人にどうしろというんだよ、という場面がこれまでに何度もあったんだ。

あまりご迷惑になることはできない。不愉快な気持ちになることなく勉強がしたい。もう少し壁をぶち破りたい。

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そんな折に、法政大学に沖縄から言語の専門家がやってきたわけだ。私が使ってきた参考書の執筆者でもある。琉球大学で研究し、現在は沖縄県立芸術大学で教べんをとっておられる方だ。これは朗報だ。ありがたい。

 授業後に私は一枚の紙を持っていった。中島みゆきの「時代」の歌詞をウチナーグチ訳したものだ。

うなれーしーぶさるぐとぅぬ みっちゃいあいびーしが、ゆたさいびーがやーたい?(教えていただきたいことが3つあるのですが、よろしいでしょうか)」

と声を掛けた。少し顔が曇ったような顔をされた気がする。気にしたら負けや。厚かましくも訳詞をお渡しし

うれーわんがちゅくたるむんやいびーしが、うちなーんかいあいびーる大学うてぃびんちょーしーぶさんでぃうむとーいびーん。ちゃーやみせーが?(それは私が作ったものなのですが、沖縄にある大学で勉強したいと思っております。いかがなもんでしょうか?)」

と、意見を求めてみた。

 先生はさらに険しい表情になった(気がする)。歌詞をじっと見ながら

「この表現は琉歌では使うけども一般的ではない」「これも通常の会話ではあまり使われない」

いくつかダメだしをなさった。

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これや。こういうのを知りたいねん私は。

 

ぱーっと心が晴れていくのを感じた。

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実は法政大学のこの授業を受講する前から、沖縄県内の主要大学にメールを送り、シラバスと時間割表を入手していた。

 

とある大学では、授業開始時にウチナーグチで先生に挨拶できれば20点もらえる、と書いてあった。

○○しんしー、ちゅーんゆたさるぐとぅうにげーさびら(○○先生、今日もよろしくお願いします)」

とかでいいんだろうか。これで20点もらってもありがたみがないな。沖縄に行かなくても本で勉強できる。

どうせなら県内唯一の国立大学である琉球大学にチャレンジしようと思い、「時代」の歌詞を添付してメールを送信したところ

「あなたの方が上手です」

と体(てい)よく断られてしまい、これはどうしたものか・・琉球大学ウチナーグチを扱っている科目は以外に少ないんだよ。文法的な質問ができそうな科目はこれくらいだ。私学は学費が高すぎて無理だしな。

と思っていた矢先に、ガンガンダメだししてくれる先生がいることを知ったわけだ。

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その先生が担当される授業のシラバスを見ると、文法をしっかり指導して下さり、時々はウチナーグチネイティブのご老人を授業に招き、その人にウチナーグチで質問ができる機会があるそうだ。願ってもない理想的な授業を、県立芸大で行っておられる。

その大学に在籍中の知り合いの子に聞くと、大学の規模が小さいので、定員オーバーで授業がとれないなんてことはない、とのことだ。 

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18歳で通いはじめた大学では、何を勉強したいのかが漠然としたまま4年間を過ごした。単位はとったものの、これや!と心に響く分野が分からぬまま卒業の卒業だった。無駄な時間だったとはもちろんいわない。けれど、頭が柔軟で記憶力もいい時期だっただけに、もっと勉強の醍醐味を知りたかったな、という気持ちが今も心に残っている。

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日本も、社会に出てから、必要だと思った時点で大学に入学し、キャリア形成する社会になればいいのにな。学びたいことが即その人の仕事に役立つものであろうとなかろうと。

学びたいことがはっきりしないのに、安くはない学費を払いこんで、就職への切符を手に入れるなんて面白くない。コスパも悪い。

 

何歳になっても大学に通っていいじゃないか。社会を経験する中で、自分が必要とする学問の方向性がはっきりしてくるだろう。

カネにならんことを勉強したくなってもいいじゃないか。むしろそのほうが自然でさえある。

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内地のオカンの癖になんでウチナーグチを勉強してんだよ、いつも色々質問してきやがってと、先生にはまた渋い顔をされるかもしれない。ご迷惑にならない範囲で容赦なくダメだしをしてほしい。

私は次のウチナーグチ検定試験を受けようと思っている。そして沖縄県立芸大で開講される、その先生の講義に混ぜてもらうのを楽しみにしている。来年の春がとても待ち遠しい。

 

オカンがこんな夢を持ってても、ええやんか。ヘンなナイチャー(沖縄県外の人間)やと思われても全然気にならん。検定試験に合格したら、沖縄タイムス琉球新報で、変人ナイチャーとして紹介してほしい。わはははは。