●心の中の森を行く●

生きた証を残したい。私が言葉を忘れる前に

若かった頃の自分を そっと慰めてあげませんか?

f:id:samarka:20190718164342j:plain


誕生日がくる数十分前、私はたまたま道頓堀川のほとりに座ってた。

ついさっきまで、近くの沖縄料理店でお笑いライブを見てた。ぼっち参戦というやつだ。沖縄からネタをひっさけげ大阪のお笑いに挑みにきた、3人の若者のエネルギーを眩しく思い出す。

30歳を少し過ぎた青年が、「僕のおかあ(母親)と同じ歳なんですね」といいながら、お誕生日おめでとうと言ってくれた。出産が早かったら、私にもこんな大きな息子がいたかも知れんのか。50年って長えな。怖えなw

そして、グリコのにーちゃんが嬉しそうに走ってるネオンを見ながら「アンタは何代目やったっけ。ずーっと道頓堀川に向かって走ってるよな。変わってるようで変わらんな」などと、ほうじ茶をすすってしみじみ座っていた。

 

 

道頓堀川というのは、阪神タイガースが優勝した時にアホが一杯飛び込んだ川のことだ。グリコのにーちゃんが代々ランニング姿で走ってるあの川でもある。実に沢山の観光客があそこで写真をとるよね。USJに行かん人なら、大阪の記念撮影スポットダントツNo.1はこの川のほとりだろう。

大阪で生まれ育った私にとっても、あの川は大阪の象徴でもあり、「アホやなあw」と笑ってきた川でもある。そして、むっちゃベタな表現やけど、あの川が流れてる通称「ミナミ」と呼ばれるエリアには、せつない思い出のかけらがいくつも落ちている。手をつないで堂々と商店街の真ん中を歩いてたのは、今から何十年前だったんだろうな。

 

少しヒトサマとは違う人生を歩んできた私も、あれこれ経験しながら無事に半世紀を生きてくることができた。この年齢の時の父、この年齢を迎えた時の母を思い出す。どちらももう、自分の足で道頓堀川にくることができない状態だった。

 

●続きはこちら → ちーでる 家族性多発性脳海綿状血管腫とともに半世紀

yakusugi.net