●心の中の森を行く●

生きた証を残したい。私が言葉を忘れる前に

夢を手放す時がきた

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今年度いっぱいで私は退職することにした。

まだやれる。数字もとれる。

自分でも勿体ない辞め方だなと思い続けた。

その一方で、「もうアンタは役に立たないから辞めてくれ」

と言われて職場を去るみじめさを味わいたくはなかった。

この仕事は、子供の頃からの夢だったからだ。

夢はキレイに終わらせたい。

振られる前に振りたい。そんな気持ちになっていた。

 

もう余程のことがない限り、私が仕事をすることはないだろう。18歳の時からずっと「先生」という肩書でお金を稼いできた私は、これから先は無職。しかも、家事が十分できるとはいえない、年金で暮らす障害者。

いつかこういう日がくることは覚悟していた。私が障害者になった原因は遺伝性の病気だ。子供の頃から身近な人が、同じ病気で少しずつ壊れていく姿を見て育った。

みんな短命だった。健康寿命は極端に短かった。

 

私は障害者手帳を持つ身にはなったけれど、まだなんとか健常者を装える。

人生の次のステップに向けて、色んな準備をするなら今しかない。

私の脳は、もうマルチタスクをこなすことができない。仕事をやりながら次の人生の土台を作る作業は無理だった。

やりたいことをやり切る前に動けなくなることと

老後の資金が足らないかもしれないとおびえること

選ぶとしたらどちらだ?

 

私の仕事は1年ごとの請負契約だ。年度始めに契約書を交わす。契約を打ち切られたら終わり。切られていなくなる先生達を私は何人も見てきた。

次年度の契約は更改しない、今年度いっぱいでクビだ、と内示を受けた先生の中には、その日まだ授業が残ってるのに、激昂してカバンを持って講師室を飛び出していった人もいる。まだ数カ月残っているその先生の担当する授業をどうするか、残った講師が手分けして代わりに教えた年もあった。

バイト時代も含めれば、この業界での仕事は35年にもなる。

キリもいい。

歳の離れた夫は老齢年金をもらえる年齢になった。幸いまだ元気で、仕事はやりたくて仕方ないと言っている。

後方支援に回ろう。そういう人生もアリだ。

私はもう充分、夢の中を生きてきた。

夢はいつまでも人をやさしく包み続けてはくれない。

強い風が吹きつけて、一瞬にして夢という雲は吹き飛ばされてしまう。

夢をはぎ取られて丸裸になった心の寒さよりも

まとっていた夢を自ら脱いで歩きだす心細さの方が

いくらかはマシなんじゃないか。

そんな気がして。