●心の中の森を行く●

生きた証を残したい。私が言葉を忘れる前に

夢を手放した手をだらりと垂らして暮らすほど、私は無欲な奴じゃない

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夢は夢のままにしておくのがいい。叶わないから夢と呼ぶんだよ。

そんな言葉を聞くことがよくある。

 

確かに、追ってはいけない夢・実現させてはいけない夢というのは世の中にある。

極端な例をあげるなら、親を殺して自由になりたいなんて夢は絶対に諦めるべきだ。

夢を追いたい気持ちが強くても、仕事を辞めたら路頭に迷う、という事情を持っている人だっているに違いない。

 

でも、夢に挑戦して破れ去るのが怖くて「どうせ夢なんて叶わない」と言うのであれば、それは単なる自己保身だ。

 

注射が怖いと泣き続けてる子供みたいなもんだ。針を刺す前は怖い。刺した瞬間は物理的に痛い。でも少し時間が経ったら、痛みは消え、心も落ち着くじゃないか。

 

ひとつ前の記事で、子供の頃から夢見ていた仕事を、病気のために引退することにした、と書いた。確かに大きな痛手だ。無念でもある。

だからこそ、痛くて苦しいまま生きてたくはない、という反骨心も湧いてきた。

 

そろそろ仕事は辞めた方がいいな、と思い始めたのはずっとずっと昔のことだ。なかなか踏ん切りがつかなかったのは、夢を手放して心に空いた穴がどうなるのか分からず、怖かったからだ。

夢を諦めるとき、ひとは己の価値観と生き方を厳しく問われるもんなんだな、と痛感した。

 

長い押し問答の末、「もう辞めよう、次に行こう」と心をあと押ししたのは、もうひとつの夢だった。

それは全くお金にならない。人の役に立つ見込みもない。周囲の共感も得られない。でもひたすらに楽しくて仕方がないことだ。

「あの人、なんであんな無駄なことをしてるんだろう?」と思われてもいいじゃないの。「変わった人よねw」と笑われてもいいじゃないの。

夢を複数持つことは大切だ。切実に叶えたい夢を複数持っている人は逆境に強い。半世紀生きた経験上、私は強くそう信じている。

 

 

私は沖縄独特の言葉を本格的に勉強してみようと思った。これは、亡くなった娘の遺言で始めたもので、当初は供養の積りで続けていた。ところが思いがけず、面白さの深みにはまり込んでしまって出られない。何の役にも立たない言葉の勉強をするくらいなら、英語でも中国語でもやればいいのに。分かっちゃいるけど止められない。

心の痛みを麻痺させ、泣き明かす時間を減らすのにもってこいだ。

 

先日私は、最後の仕事が終わったその足で羽田空港に向かい、沖縄に飛んだ。沖縄独特の言葉(ウチナーグチとかしまくとぅばと呼ばれてる)の検定試験を受けるためだ。

沖縄県内でも、この言葉が分かる人は年々減っているそうで、県をあげて言葉の保存にとりくんでるそうだ。言葉が分かれば沖縄はぐっと面白い島になる。エイサーという踊りの歌の歌詞、沖縄芸人のお笑いなど、まだまだ文化の端々にウチナーグチは残っている。

 

それでもこの言葉に興味を持つ沖縄県民は多くない中、県外から飛行機にのって検定試験を受けにくる奴がいるらしい。

沖縄の新聞とテレビが私のことをとりあげ、新聞の1面で大きな記事になり、沖縄の有名プロデューサーからテレビ局に呼ばれたり、直接電話やメールをもらったりした。

 

彼らのひとりが私にこう尋ねた。

「亡くなった娘さんの夢がいつしかあなた自身の夢にもなったんですね。検定試験を受けて自分の力を試しにきたんですね。あなたの次の夢は何ですか?」

 

その言葉を聞いた時、心の中に白い扉が見えた。少し開いている。それは私の夢の扉だ。

扉が開いたら、その先にまた扉が見えてくる。輝く扉が見えてくる。体調が許すうちに次の扉を開けよう。開けていい。開けなくちゃいけない。

身体障害者手帳を持つ身となった私にとって、次の夢はハードルが高い。それでももうひとつ夢をこの手でつかんでやりたい。

 

気持ちが折れないよう、私は沖縄のマスコミの前で宣言してきた。

 

「審査に合格できたら、この4月から私は沖縄で大学生になります」

 

一銭のカネにもならない言葉をうきうきと勉強してみたいと思っている。カネを生まない夢を追いかけてもいいじゃないか。

 

格通知は1月下旬から2月上旬には届くようだ。この検定試験は今年はじめて開催されるため、色々な予定がはっきり決まってないらしい。気長に待っているところだ。

沖縄県外で初めての合格者になりたい。大学の志願書に「○級を●●点で合格」と書いて提出したい。

 

「合格したら教えて下さいよ、絶対ですよ」

とマスコミの人が念を押してくれた。社交辞令でなかったら、沖縄リピーターなら多分誰でも知ってる有名人と放送局で会えるかもしれないw 

 

既にyoutube上で、うちなーぐちの動画に標準語字幕を付けていくつかupしてある。もっと力が付いたら、さらに色んなことにチャレンジしたい。ひとつの夢が別の夢を生み、それを叶えるために頭を使い、スキルが身につく。


字幕つき ありんくりん うちなーぐち(沖縄方言)版 ラッスンゴレライ さんま御殿

 


●うちなーぐち(沖縄方言)字幕追加●標準語字幕つき じゅん選手 オンデーズCM

 

夢は人を幸せにする。人生を豊かにする。大切なものを失った悲しみを癒し、立ちあがって歩きだすきっかけをくれる。

だから、夢を貪欲に追う心を忘れてはいけない。夢に無欲であってはいけない。

 

私が若い頃の日本と今の日本はまるで別の国のように経済が停滞している。お若い方に「夢を持ちましょう♪」と気楽な気持ちで言ったら怒られるかもしれない。

 

でも、私の夢もそうだけど、本当に小さな夢でいい。小さな夢すら見つからねえよ、という方がいたら。カイワレ大根の種を買ってきて濡れたティッシュの上に置いてみて。植物は毎日確実に大きくなるので、努力を裏切りません感がちょっとした達成感を生む。カイワレの栽培は簡単。ティッシュが乾かないようにちょろっと水かけるだけ。

大きな夢なら、目標を細かく分けて、少しずつ登っていくといいよね。たとえ登りきれなくても、自分の力で登ってきたという事実が、あなたのこれからの人生を生きていく自信をはぐくむはずだ。

 

検定試験に合格したら、勉強方法を書いたブログを開設する。これもまた、次の夢の扉。

 

これから何年、私は自分の頭でモノを考えられるだろう。指が動くだろう。脳血管奇形をたくさん持ってる私は、健康な同世代オカンよりも健康寿命が短い(というか、もう既に健康ではない)。

 

「あれやりたいんだけど、どうしようかなあ・・」

と悠長に悩んでる暇がない。やりたいならやる。笑われてもやる。カネにならなくてもやる。

 

やるといったらやる。私は無欲な奴じゃない。

 

ゆみがてぃーちねーんなてぃん、なちあかさんてぃんしむん。

(夢がひとつなくなっても、泣き明かさなくてもいい)