●心の中の森を行く●

世間の常識というやつがあなたを幸せにしてくれるとは限らないよ

心に溜まった汚泥を捨てて生きていく

長く生きていると、誰だって大なり小なり汚泥のように心にへばりつく不快感を抱えて暮らすことになる。溜まってくると心が重くなり、やがて重さに耐えられず歩けなくなる。

だから、倒れて動けなくなる前に汚泥は掻き出してしまわねばならない。

 

トラウマという心の致命傷は、専門家ではない私にはどうすることもできない。

けれど、自分で掻き出せる心の汚泥は、除去できる限り除去して心を少しでも軽くしたい。

 

人並みに暮らせるようになった今でも、気がつけば昔のつらかったことばかり考えている自分がいる。

私の人生はもう半世紀を越えた。まるで自らに懲罰を与えるかのように、昔の辛い体験ばかりを思い出す自分を捨ててしまいたい。

いわば、心の断捨離だ。

 

本当の断捨離と同じで、自分が持っているものを全部出し、要るものと要らないものを分別することから心の断捨離は始まる。

とはいえ、心の中にあるものには形がないので、押し入れや物置から引っ張り出してくることはできない。

目に見える形にして目の前に並べ、「もうこれは過ぎたこと。これからの自分には必要のない感情だ」と自分に言い聞かす必要がある。

そのために私は、心の中に溜まった汚泥のような不快な思い出を文字にすることにした。

自暴自棄になって心が暴走しないよう、人の目に触れる場所で。

 

登場人物の中にはまだ存命の人もいるので、起こったことをすべて赤裸々に描くわけにはいかない。フェイクも入っている。

それでも。

書き残せるうちに。覚えているうちに。指が動くうちに。

多発性脳海綿状血管腫という脳血管奇形を持っている私には、いつ脳出血を起こして自分の意志通りの暮らしができるかの保証がない。

 

自己憐憫に浸りたいわけではない。私より過酷な人生を送ってきた人はたくさんいることも分かっている。けれど、平凡という言葉が似つかわしくない人生を送ってきた気はしている。

友人に話して慰めや肯定を得る方法もあるけれど、それも度が過ぎれば相手を困惑させる。自分に経験がないことを想像するのは大変で、慰めの言葉を考えるのは大変な作業だ。だから誰かが何とかしてくれると思ってはいけない。

 

なので私は、noteという場所を借りて、自分で自分の人生の棚卸を始めた。45年以上前の記憶や出来事をさかのぼり始めている。

 

note.com

 

note.com

 

note.com

 

人生には時として、死にたいと思うほど辛いことはたくさんある。「死んで楽になりたい」と思っても仕方ないよね、本当に辛いよね、と思わざるを得ない出来事を抱えておられる方々がいるのも知っている。

だから、苦悩の果てに自ら命を絶つ人を責める気持ちも毛頭ない。「あなた一人の人生じゃないんだから!」といった陳腐な言葉で自殺を止めようとは思わない。残った人を悲しませないように己を殺して生き地獄を生きていけ、というのは酷だ。

 

でも、心の中の汚泥を掻き出して心が軽くなりそうなら。あるいは、環境を変えて自分を生まれ変わらせることができそうなら。行動する価値はある。

 

運がよければ、こんなバカをやって笑える未来がやってくるかもしれない。「いめゆんな」「牧川冴子」「屋久杉」というのは、私がネット上でものを書くときに使っているペンネームだ。

  

夢を手放した手をだらりと垂らして暮らすほど、私は無欲な奴じゃない

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夢は夢のままにしておくのがいい。叶わないから夢と呼ぶんだよ。

そんな言葉を聞くことがよくある。

 

確かに、追ってはいけない夢・実現させてはいけない夢というのは世の中にある。

極端な例をあげるなら、親を殺して自由になりたいなんて夢は絶対に諦めるべきだ。

夢を追いたい気持ちが強くても、仕事を辞めたら路頭に迷う、という事情を持っている人だっているに違いない。

 

でも、夢に挑戦して破れ去るのが怖くて「どうせ夢なんて叶わない」と言うのであれば、それは単なる自己保身だ。

 

注射が怖いと泣き続けてる子供みたいなもんだ。針を刺す前は怖い。刺した瞬間は物理的に痛い。でも少し時間が経ったら、痛みは消え、心も落ち着くじゃないか。

 

ひとつ前の記事で、子供の頃から夢見ていた仕事を、病気のために引退することにした、と書いた。確かに大きな痛手だ。無念でもある。

だからこそ、痛くて苦しいまま生きてたくはない、という反骨心も湧いてきた。

 

そろそろ仕事は辞めた方がいいな、と思い始めたのはずっとずっと昔のことだ。なかなか踏ん切りがつかなかったのは、夢を手放して心に空いた穴がどうなるのか分からず、怖かったからだ。

夢を諦めるとき、ひとは己の価値観と生き方を厳しく問われるもんなんだな、と痛感した。

 

長い押し問答の末、「もう辞めよう、次に行こう」と心をあと押ししたのは、もうひとつの夢だった。

それは全くお金にならない。人の役に立つ見込みもない。周囲の共感も得られない。でもひたすらに楽しくて仕方がないことだ。

「あの人、なんであんな無駄なことをしてるんだろう?」と思われてもいいじゃないの。「変わった人よねw」と笑われてもいいじゃないの。

夢を複数持つことは大切だ。切実に叶えたい夢を複数持っている人は逆境に強い。半世紀生きた経験上、私は強くそう信じている。

 

 

私は沖縄独特の言葉を本格的に勉強してみようと思った。これは、亡くなった娘の遺言で始めたもので、当初は供養の積りで続けていた。ところが思いがけず、面白さの深みにはまり込んでしまって出られない。何の役にも立たない言葉の勉強をするくらいなら、英語でも中国語でもやればいいのに。分かっちゃいるけど止められない。

心の痛みを麻痺させ、泣き明かす時間を減らすのにもってこいだ。

 

先日私は、最後の仕事が終わったその足で羽田空港に向かい、沖縄に飛んだ。沖縄独特の言葉(ウチナーグチとかしまくとぅばと呼ばれてる)の検定試験を受けるためだ。

沖縄県内でも、この言葉が分かる人は年々減っているそうで、県をあげて言葉の保存にとりくんでるそうだ。言葉が分かれば沖縄はぐっと面白い島になる。エイサーという踊りの歌の歌詞、沖縄芸人のお笑いなど、まだまだ文化の端々にウチナーグチは残っている。

 

それでもこの言葉に興味を持つ沖縄県民は多くない中、県外から飛行機にのって検定試験を受けにくる奴がいるらしい。

沖縄の新聞とテレビが私のことをとりあげ、新聞の1面で大きな記事になり、沖縄の有名プロデューサーからテレビ局に呼ばれたり、直接電話やメールをもらったりした。

 

彼らのひとりが私にこう尋ねた。

「亡くなった娘さんの夢がいつしかあなた自身の夢にもなったんですね。検定試験を受けて自分の力を試しにきたんですね。あなたの次の夢は何ですか?」

 

その言葉を聞いた時、心の中に白い扉が見えた。少し開いている。それは私の夢の扉だ。

扉が開いたら、その先にまた扉が見えてくる。輝く扉が見えてくる。体調が許すうちに次の扉を開けよう。開けていい。開けなくちゃいけない。

身体障害者手帳を持つ身となった私にとって、次の夢はハードルが高い。それでももうひとつ夢をこの手でつかんでやりたい。

 

気持ちが折れないよう、私は沖縄のマスコミの前で宣言してきた。

 

「審査に合格できたら、この4月から私は沖縄で大学生になります」

 

一銭のカネにもならない言葉をうきうきと勉強してみたいと思っている。カネを生まない夢を追いかけてもいいじゃないか。

 

格通知は1月下旬から2月上旬には届くようだ。この検定試験は今年はじめて開催されるため、色々な予定がはっきり決まってないらしい。気長に待っているところだ。

沖縄県外で初めての合格者になりたい。大学の志願書に「○級を●●点で合格」と書いて提出したい。

 

「合格したら教えて下さいよ、絶対ですよ」

とマスコミの人が念を押してくれた。社交辞令でなかったら、沖縄リピーターなら多分誰でも知ってる有名人と放送局で会えるかもしれないw 

 

既にyoutube上で、うちなーぐちの動画に標準語字幕を付けていくつかupしてある。もっと力が付いたら、さらに色んなことにチャレンジしたい。ひとつの夢が別の夢を生み、それを叶えるために頭を使い、スキルが身につく。


字幕つき ありんくりん うちなーぐち(沖縄方言)版 ラッスンゴレライ さんま御殿

 


●うちなーぐち(沖縄方言)字幕追加●標準語字幕つき じゅん選手 オンデーズCM

 

夢は人を幸せにする。人生を豊かにする。大切なものを失った悲しみを癒し、立ちあがって歩きだすきっかけをくれる。

だから、夢を貪欲に追う心を忘れてはいけない。夢に無欲であってはいけない。

 

私が若い頃の日本と今の日本はまるで別の国のように経済が停滞している。お若い方に「夢を持ちましょう♪」と気楽な気持ちで言ったら怒られるかもしれない。

 

でも、私の夢もそうだけど、本当に小さな夢でいい。小さな夢すら見つからねえよ、という方がいたら。カイワレ大根の種を買ってきて濡れたティッシュの上に置いてみて。植物は毎日確実に大きくなるので、努力を裏切りません感がちょっとした達成感を生む。カイワレの栽培は簡単。ティッシュが乾かないようにちょろっと水かけるだけ。

大きな夢なら、目標を細かく分けて、少しずつ登っていくといいよね。たとえ登りきれなくても、自分の力で登ってきたという事実が、あなたのこれからの人生を生きていく自信をはぐくむはずだ。

 

検定試験に合格したら、勉強方法を書いたブログを開設する。これもまた、次の夢の扉。

 

これから何年、私は自分の頭でモノを考えられるだろう。指が動くだろう。脳血管奇形をたくさん持ってる私は、健康な同世代オカンよりも健康寿命が短い(というか、もう既に健康ではない)。

 

「あれやりたいんだけど、どうしようかなあ・・」

と悠長に悩んでる暇がない。やりたいならやる。笑われてもやる。カネにならなくてもやる。

 

やるといったらやる。私は無欲な奴じゃない。

 

ゆみがてぃーちねーんなてぃん、なちあかさんてぃんしむん。

(夢がひとつなくなっても、泣き明かさなくてもいい)

夢を手放す時がきた

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今年度いっぱいで私は退職することにした。

まだやれる。数字もとれる。

自分でも勿体ない辞め方だなと思い続けた。

その一方で、「もうアンタは役に立たないから辞めてくれ」

と言われて職場を去るみじめさを味わいたくはなかった。

この仕事は、子供の頃からの夢だったからだ。

夢はキレイに終わらせたい。

振られる前に振りたい。そんな気持ちになっていた。

 

もう余程のことがない限り、私が仕事をすることはないだろう。18歳の時からずっと「先生」という肩書でお金を稼いできた私は、これから先は無職。しかも、家事が十分できるとはいえない、年金で暮らす障害者。

いつかこういう日がくることは覚悟していた。私が障害者になった原因は、脳海綿状血管腫という血管奇形。遺伝性なので、母にも娘にも弟にも症状が現れた。彼らがどんな生涯を送ったかを私は子供の頃から身近に見て育った。少しずつ壊れていく娘の姿は、ある日突然私の視界から消え、煙になって空へ旅だって行った。東京に雪が降った4月のある日のことだ。

同じ脳血管奇形が私にもある。しかも無数に。

みんな短命だった。健康寿命は極端に短かった。

私は障害者手帳を持つ身にはなったけれど、まだなんとか健常者を装える。

人生の次のステップに向けて、色んな準備をするなら今しかない。

私の脳は、もうマルチタスクをこなすことができない。仕事をやりながら次の人生の土台を作る作業は無理だった。

やりたいことをやり切る前に動けなくなることと

老後の資金が足らないかもしれないとおびえること

選ぶとしたらどちらだ?

 

私の仕事は1年ごとの請負契約だ。年度始めに契約書を交わす。契約を打ち切られたら終わり。切られていなくなる先生達を私は何人も見てきた。

次年度の契約は更改しない、今年度いっぱいでクビだ、と内示を受けた先生の中には、その日まだ授業が残ってるのに、激昂してカバンを持って講師室を飛び出していった人もいる。まだ数カ月残っているその先生の担当する授業をどうするか、残った講師が手分けして代わりに教えた年もあった。

バイト時代も含めれば、この業界での仕事は35年にもなる。

キリもいい。

歳の離れた夫は老齢年金をもらえる年齢になった。幸いまだ元気で、仕事はやりたくて仕方ないと言っている。

後方支援に回ろう。そういう人生もアリだ。

私はもう充分、夢の中を生きてきた。

夢はいつまでも人をやさしく包み続けてはくれない。

強い風が吹きつけて、一瞬にして夢という雲は吹き飛ばされてしまう。

夢をはぎ取られて丸裸になった心の寒さよりも

まとっていた夢を自ら脱いで歩きだす心細さの方が

いくらかはマシなんじゃないか。

そんな気がして。

悲しみや恐怖心を文字に換え、心を軽くしてから対処法を考える

私の脳や脊髄には、いつ出血するか分からない血管奇形が無数にある。出血する場所によって、身体に現れる症状は星の数ほど違うといっていい。

2年前から肋間神経痛のような痛みに悩まされている。整形外科で骨折ではないことは確認済。心臓にも問題がない。よく効くことで全国的に有名な鍼灸院で3度鍼を打ってもらったが、一向に痛みが引かない。

「今回で痛みが引かなかったら打っても無駄になる。別の治療法を試した方がいい」

延々と引っ張って患者を引きとめないのは良心的だなと思いながらも、次はどこに行けばいいのやら途方に暮れていた。

 

そんな折、頸椎(首の骨)の血管腫から出血して下半身まひになってしまった人がいることを知った。その人も肋間神経痛のような痛みを抱え、下着をつけることもできなかったそうだ。

 

私が子宮筋腫の手術を受ける際、硬膜外麻酔を背中に打てるかどうか知りたいから、脊髄あたりのMRI画像もとりましょうってことになった。

見事に血管腫がみつかった。どの部位なのかまではまだ確認していない。

 

もしその人と同じ場所に血管腫があるとしたら、出血によって首から下の機能がマヒする、少なくても下半身マヒや排泄障害が出るとのことだ。

 

今このブログを書いているのは、他の記事と違って完全に私自身の心の安定のためだ。

私の脳血管奇形は、既に大小合わせて100か所以上の出血跡がある。それなりに機能障害が少しずつ出ているけれど、仕事や家事を最低限やりながら自立生活を送ることができている。

だから今までは楽観的に過ごすことができていた。

 

しかし、下半身マヒと排泄障害が起こったら人生は一変する。よくて車椅子。常時排泄介助が必要になるのではないか。

 

私は初めて、多発性脳海綿状血管腫の恐ろしさを感じている。

 

今後どのように暮らせばいいのだろう。

今通っている病院は脳神経内科しかない。画像診断や手術を得意とする脳外科がない。血管奇形によるてんかんの症状をを緩和するために、私はこの10年近くこの病院に通ってきたけれど、外科が専門でないせいか、血管腫は増えてません、と言われるばかりだった。

ところが先日、急に右半身の感覚が鈍くなっておそろしくなり、10年前にMRI画像を撮った病院に掛け込んで、緊急入院をして検査を受けたところ、この10年で出血個所は格段に増えており、加齢と共に出血しやすくなる、との診断を受けた。

 

今までの私は、脳内で出血が起こった時に備えて暮らしてきた。大出血を起こす奇形ではないので、不自由を感じながらもそれなりに自立生活が送れることを前提にしてきた。

けれど、出血したらいきなり下半身が麻痺して排泄ができなくなる、というシナリオまでは想定していなかった。

 

私は生まれて初めて、この血管奇形の恐ろしさを体感した。

 

この記事は、健康な方が読んでも一切有益なことや楽しいことはでてこない。ただただ恐怖感を紛らわすために文章を叩きつけているだけだ。

不安を文章に変換して少しでも思考への負担を減らし、冷静になって、今それから今後、私は何をしておくべきなのかを考えようとしている。

 

半世紀を越えて生きてきた私にも、これから叶えたい夢が沢山ある。その中には、毎週飛行機に乗って行き来しなければいけないものもある。

もう飛行機のきっぷは買ってある。

飛行機のキャンセル料はたかが知れてる。それよりも、いつ出血するか分からない(一生セーフでいられるかもしれない)血管腫のために、この夢を諦めていいのかどうか。

飛行機は列車や車と違って、体調の急変が起こっても途中下車ができない。

 

だめだ。素人がいくら考えても答えは出ない。

 

頸椎で出血を起こした人によると、何の前触れもなくいきなりきた、とのことだった。そして一気に半身不随の障害者になってしまった。

歩けなくなってしまったら遠くの大学病院に自力で通うことができなくなる。だから最優先すべきは、その病院に診察予約をすることだ。そのためには、どこかの病院からの紹介状が必要だ。

先日入院した近くの脳外科に行き、紹介状を書いてもらうこと。私が自分の健康のためにできることは、まずそこからだ。

 

字がヘタになるとか、料理や片付けができなくなるとか、記憶があやふやになるとか。そういうのは、工夫次第で健常者と同じレベルに引き上げることが可能だ。手書きじゃなくてもキーボードでいい。惣菜などを買えば食事には困らない。忘れる前にメモを残せばいい。

でも、歩けもせず自力で排泄もできなくなったら、代替手段はあるんだろうか。

 

参った。リアルに参った。

 

仕事の締切に追われている夫に不安をぶつけるわけにはいかない。こういう問題に全く疎い人間に恐怖を語っても、相手を不安にさせるだけだ。問題の解決にはならない。

話す相手は専門家、つまり医師だ。信頼できる大学病院の医師だ。

 

この身体で生まれた以上、この身体で生きていく方法と心構えを模索するしか道はない。遺伝病なので誰が悪いわけでもない。誰かを責められる問題ならば、不安や怒りを吐き出してカタルシスを得られるかもしれないけれど、私の場合はそうではない。

責めたり怖がったり自暴自棄になっているヒマはない。いつどこで出血が起こるか分からない。身体的にも思考能力的にも一応自立生活を送ることができる時間はとても貴重だ。不毛な感情にとらわれている場合じゃない。

 

今日は金曜日でもうすぐ16時だ。今からでは診察時間に間に合わない。週明けに、先日入院をした病院に行って紹介状をお願いすること。これしかない。

 

基本的に、脳海綿状血管腫は経過観察で、日常生活で気をつけることは血圧管理くらい。出血を起こしても「ああ、出血しましたか」と言われ、対処療法的な薬をもらって飲むだけだ。手術ができるとしても、私のような多発性の患者は、血管腫を全摘したら脳がくずれた豆腐みたいになってしまう。

 

それも含めて、とにかく紹介状の入手だ。

同じ血管腫をもち、重度の身体障害者になった母の晩年が頭の中でぐるぐる回っている。

私もああなるのだろうか。身内に具体例がいただけに、恐怖感が半端ない。

 

読者登録してくださっている方、今回の投稿がこんな恐怖の吐き出しばかりで済みません。心が落ち着いたら、また平常運転に戻ると思います。

脳幹部脳海綿状血管腫(家族性)と共に半世紀

私の脳内には、脳幹部を含む多発性脳海綿状血管腫(家族性)という血管奇形があります。私の脳内には、100か所を超える出血痕。多発性ですから、脳のあちこちに血管腫があるということです。それらが微出血を起こすたびに、身体のどこかの機能が少しずつおかしくなっていくんです。

一部は脳幹にありますここは出血を起こしやすい場所ですから、見つかった時には「厄介なことになったな」と思いました。大きな出血を起こさなければいいんですけれど・・。

 

それでも私は半世紀50年を越えて生きています。残念なことですが健康な人のようには生きられません。軽度ですが身体障害者です。できないことが増えてきました。

でも、パーソナルベストな人生を歩めればそれでいいそう思えればこんな身体でも、意外と幸せに生きていけるもんだなと実感しています。

 

●ここは雑記ブログとして使っています。

病気の話は( いめゆんな 半世紀を越えて)にまとめました 

もし「脳海綿状血管腫」で検索して、このブログをご覧になっている方は、「 いめゆんな 半世紀を越えて」にお越しいただけると嬉しいです。脳海綿状血管腫と共に半世紀生きてきた私が

  • どんな治療を受け
  • どんな生活をし
  • 何を楽しんでいきているか 

について書いています。

 

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「いめゆんな」は亡くなった娘がネット上で使っていた名前なんです。私と同じように、脳幹部を含む多発性脳海綿状血管腫があり、2度目の出血が原因でこの世を去りました。家族性(遺伝性)の病気は残酷ですね。

私が「いめゆんな」と名乗るのは、あの子の命のバトンを引き継いで生きようと決めたからです。半世紀生きた人間にはふさわしくない名前だよな、と思いつつ。

 

特に同病者の方へ。 いめゆんな 半世紀を越えて  もご覧いただければうれしいです。お待ちしています。

 

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喪失感は心の奥に真空地帯を作る

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大切なものを失った時、人の心には大きな穴が空く。

 

私は既に両親と娘を失っている。長年重度の身体障害者として生きてきた両親に関しては、子供なりにある程度の覚悟をしていた。身体障害以外にたくさんの病気を併発していたからだ。

ところが娘は突然家の中から消えてしまった。家のどこを見てもそこに娘だけがいない。座っていた椅子、寝ていたベッド、残していった制服。どこを見ても娘がいない。

 

大切なものの喪失は死別だけではない。失恋もそうだ。そして失うものは生き物の命だけではない。大きな目標を失った時にも私たちは喪失感を感じるものだ。

 

心というものは、穴が空いたままではいられない性質を持っている。何かで穴をふさぎたい。穴をふさいでくれるものはないかを必死に探し求めている。吸い込みたがっている。その様子はまるで、真空地帯のフタを開けた瞬間に一気に空気が入り込んでいく様子に似ているなとよく思う。

 

失ったものが大切であればあるほど冷静さを失う。心の真空状態も強い。だからこそ強く意識しておかねばならない。何で穴をふさぐのかを間違えたら、その後の人生を狂わせかねないと。 

寂しさを紛らわすために酒に逃げる。くだらない男を渡り歩く。怪しげな新興宗教にお布施し続ける。買い物依存になる。その辺からガラクタを拾ってきてゴミ屋敷を作ってしまう。

心の穴を埋めることを急いではいけない。混乱と悲しみの中にあっても、残っている少しの冷静さで踏みとどまってほしい。そして考えてほしい。

これで心の寂しさを埋めて、将来の自分は本当に幸せになれるだろうか。おかしなものを吸いこもうとしてるんじゃないか」と。

 

空いている穴を敏感に探し当てて向こうから近付いてくる鼻の利くやつらもいる

両親を相次いで亡くした時、母のいとこにあたるおばさんから電話があった。要旨はこうだ。

「あなたの信心が足らないから両親が病気になり、こんなに若くして亡くなった。功徳を積まねばならない。この宗教に入信しなさい」母と仲良かった人なのでガチャ切りもできず、しばらくは言われるままに聞いていたけれど、「親が死んだのはあなたのせいだ」と言うような人の話は二度と聞きたくない。「もう充分です、結構です!」と言って電話を切り、大声をあげて泣いた。

別の親戚からは、某宗教新聞の定期購読を勝手に申し込まれていた。新聞販売店に連絡したら、「~さんの名前で、今月から新聞を配達してくれと言われた」とのことだった。新聞紹介数が増えれば功徳が積めるシステムなんだろうか。

どちらの親戚も私に不快感を感じさせてくれたおかげで、宗教の勧誘に巻き込まれることはなかった。当時はまだ若くて判断力もなかったので、不快感が防波堤になってくれてよかったなと思う。

 

 

喪失感は人の身体と心をひどく消耗させる。自分でできる回復方法のひとつは睡眠だ。少なくても私には有効だった。

両親がたてつづけに亡くなった後は、「寝よう!」と意識しなくても、身体の方から睡眠を欲してきた。夕食を食べながらそのまま朝まで寝てたこともあるくらい、とにかくとにかく眠かった。

 

もうひとつ有効だった方法は、頑張っている人を応援することと、健全な趣味にのめり込むことだった。

私は沖縄固有の言葉で「うちなーぐち」と呼ばれる言葉をイチから勉強した。娘がやりたくて叶えられなかった夢のひとつだったからだ。代わりに叶えてやりたかった。

教材がほとんどなく周りで使ってる人もいない言語を学ぶのは大変だった。泳げないのに大海に放り込まれた気分だった。悲しみを感じるヒマがないほどに大変だった。だからよかったんだろう。

ツイッターで発信することにした。本土の人間だけど沖縄の言葉を勉強したい、教材も指導者もいなくて困っている、でも勉強したいと。その声を拾ってくれた沖縄の人たちが、言葉の海でおぼれてる私に手を差し伸べてくれた。お陰で私の心の穴は、健全で生産的で温かいもので満たされていった。

 

たとえある程度穴がふさがっているように見えても、元には戻らない。きっと一生戻らない。けれど、穴のふさぎ方を間違わなければ心は強靭になる

筋肉を鍛える時と似ているかも知れない。詳しいことは知らないけれど、筋トレをすることで一度筋肉の繊維を壊し、それを修復することでより強い筋肉が作られるそうだ。

 

偉そうに書いている私も、まだ心の穴を埋め続けている最中だ。自分に向かって書いてるような気がする。

 

勉強した言葉で好きな歌の歌詞を翻訳して歌いながら、自分の心を鼓舞してみたりする。 

ぐそーから ちてーぶさん。わーたみどぅ なちあかさんけー。ぐそーから あびぶさん。わーくぅけー むっとぅあらん。(荒野から君に告ぐ。僕のために立ち止まるな。荒野から君を呼ぶ。後悔など何もない)

この世を旅立ってしまった人が、現世に残した大事な人に全身全霊を掛けて訴える歌。中島みゆきさんの「荒野より」の一節だ。

 

まだ勉強して日が浅いので未熟だ。意訳しないとメロディにはまる言葉が見つからない。

だから来年度は、体調が許すなら、沖縄の大学で本格的に言葉の勉強をしようと思っている。

 

沖縄県勢のアルプススタンドで踊りたい一心でオカンは甲子園に行った

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沖縄県民は高校野球をアツくアツく応援する。本当にアツい。(準)決勝まで残った時は、車社会の沖縄から車が消えた。みんなテレビの前で応援してるからだ。仕事や外出どころじゃないってことだ。

元々沖縄が独立国だったせいだろうか。

それとも、地理的に本土と非常に距離があるせいだろうか。

とにかく「沖縄」「琉球」「島」とつくモノが大好きで別格。その反面、まだ本土への劣等感や反骨心を心に抱いている人もいる。

色んな意味で「わったーうまりじま(自分が生まれた島)」を殊更に大事にする県民性だと、行くたびに強く思う。

それが顕著に現れるのが高校野球だ。

 

今年は美爆音という異名をとる吹奏楽部を有する習志野高校と、沖縄尚学高校があたる好カード。組み合わせ抽選会を見た瞬間に、障害者手帳を手にして条件反射的にJRの緑の窓口に急いだ。新幹線の切符を買うためだ。

夫に報告したのは、切符と宿を押さえた後。我が家ではいつものことだ。

「明日、甲子園行ってくるわ」

「気をつけて行ってらっしゃ~い(にっこり」

 

多分、私がまだ動けるうちに、やりたいことは存分にやらせてやろうということなんだろうな。というか、引きとめても止まらんヤツだと身にしみているんだろう。済まんねえ・・

 

よっしゃ (^-^) これで踊れる。ハイサイおじさんで踊れる。沖縄県民じらーして(沖縄県民を装って)、アルプススタンドで踊れるぞ、アイヤイヤサッサー♪と叫びながら踊れるぞw

 

いい歳して何バカなことを・・wと笑う人もいるだろう。

勝手に笑ってなさい。

半世紀生きてきた病人が、誰にも迷惑を掛けず自分が稼いだカネで何やってようと、世間がとやかく言うことじゃねーの。

人を蔑む人生よりも、人を応援する人生の方がずっとずっと楽しいのに。人生がもったいないよそれ。

 

せっかくなので第一試合からずっとアルプススタンドに座って試合を見てた。沖縄は第三試合だというのに。いい席を確保したい、それだけのために、炎天下の甲子園でカチワリの氷で体を冷やしながら試合を見てた。

みんなじーっと試合を見てる。感情をあらわにするのは試合が動いた時だけ。「おおーっ」と軽く声が聞こえる。普通はそうだよな。

 

そんな試合を2つ見た後、第三試合でやっと沖縄の応援団とファンがわああっ!とアルプススタンドになだれ込んできた。アルプスからあふれて外野までいっぱいだ。本土で働いている沖縄出身の人がたくさん集まったんだろうな。

そしてだ。

試合はまだ始まってもいないってのに、なんか勝手にアルプススタンドがカーニバル状態になりはじめた。

三線(さんしん)を天に突き上げて歌ってるオッサン、ゴーヤーをカバンから出すおねーさん。自撮りしながら指笛吹いてるヘンなメガネとクバ笠かぶってるにーさん。酒のんだんだろな、いかに夫婦仲が悪いかを切々と訴えつつ陽気に踊ってるヤツまでいる。ここは居酒屋じゃねえよ甲子園だよ分かってるか?w

試合が始まる前からアルプススタンドはお祭り騒ぎだ。

このテンションは本土にはない。きっとない。見たことない。

 

ハイサイおじさん」や「オジー自慢のオリオンビール」が流れる中、酒場の酔っ払いみたいなノリと一体感の中で、「アイヤ、アイヤ、アイヤイヤサッサー♪」と吹奏楽の演奏に合いの手を入れて叫ぶ。みんなが叫ぶ。私も叫ぶ。

全然恥ずかしくないどころか、じっと静かに椅子に座ってたら「大丈夫ですか?熱中症ですか?」と心配されるくらいだ。

高校野球は熱狂するのが当たり前。踊る。叫ぶ。笑う。

遠いところから来てるのに。というか、遠いところからやってきたからこそはじけるのかもしれないね。そして、ふるさとから遠く離れて本土で働いてたりするからかもしれないね。

 

応援の甲斐なく沖縄負けちゃったんだけどね。それでも沖縄は素晴らしかった。

朝から見た2試合と違って、習志野高校の校歌が鳴り終わった瞬間、沖縄のアルプススタンドは習志野に大きな拍手を送ったんだよ。

朝の2試合では、負けが決まった瞬間に無表情で帰り仕度を始めてる人が多かったってのに。

沖縄のアルプススタンドは最後まで素晴らしかった。あんなに盛り上がって応援した自分たちが負けたというのに。それでも勝者におめでとうと言える。なかなかないんじゃないかな。

私は習志野高校がある県に住んでいるのだけれど、あえて沖縄側アルプスで観戦して本当によかった。

 

そして、甲子園の砂を袋に詰めている球児の姿を遠目に見ながら思ったよ。

「砂を沖縄に持って帰れる時代でよかったな」と。

 

甲子園に沖縄の代表が初めてやってきた時、沖縄はまだ日本に返還されていなかった。要するに、沖縄はまだアメリカに占領されたままの外国だったんだ。戦争のせいだよ。

だから首里高校の選手が船で沖縄に戻った時、検疫に引っ掛かるという理由で、せっかくの甲子園の土を海に捨てられてしまった歴史がある。無念すぎる。パスポートを持って国境を越え、せっかく甲子園までたどり着いたのに。

その後、石は検疫に掛からないということで、首里高校に石が届けられたと聞いた。 

歴史的・政治的に難しい問題がまだまだあるけれど、同じ日本人として戦い、応援し、見送ることができたことを私は本当によかったなと思っている。

 

帰りの新幹線で気がついた。日焼け止めを塗り忘れた足の甲が、火傷したみたいに真っ赤になっているw

「馬鹿なことをして・・その歳じゃ日焼けは元に戻らないわよ」

と呆れられるかもしれない。でもいいの。元気なうちにやりたいことを思いっきりやってるんだから、足の甲が日焼けしてても何の問題もないの。

足は動けばいいの。

歩ければいいの。

それで幸せなの。

 

半世紀の間 病気と共に生きてきた私に、あと人生の時間はどれくらい残ってるだろう。それが分からんからこそ

アホなことは徹底的にやる。

遠慮せずに目一杯やる。

中途半端が一番カッコ悪い。

 

熱狂的に生きる。熱狂的に応援する。

それの何がアカンのや? (^-^)