●心の中の森を行く●

世間の常識というやつがあなたを幸せにしてくれるとは限らないよ

ツイ廃からの脱出

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私のツイッターアカウント (imeyun_kana)は、亡くなった娘が作ったアカウントだ。

病気がちだったあの子は、このアカウントに執着が強く、「もし私になにかあった時は、このアカウントを消さず、ここからこの人の応援を続けてほしい」と言われていた。

この人というのは、お笑い活動を通じて沖縄独自の言葉を残そうとしている「じゅん選手」という沖縄の青年お笑い芸人のことだ。

 

残念なことに「なにかあった時」が来てしまった。

「応援を続けてくれ」という義務を果たさねばならない。

そして、ツイッターに何かを書くことで娘と対話ができる気もして、ずーっと色んなことをツイっていた。応援もした。フォロワーさんもそのままにして。

 

そのうち、本当の私が書きたいことと、フォロワーさんの興味の方向がずれてるのが苦痛になってきた。フォロワーさんは沖縄のとある人気ラジオ番組が大好きな人達。一方の私は、じゅん選手のコーナーが終わった後は、その番組を聞かなくなってしまった。だから話が合わない。

「自分はここで何をすればいいんだろう」と悩む日が続き、何度も休眠アカウントにしようと思っていた。

それでも、このアカウントでツイートを止めることは許されない気がして、結局また、「フォロワーさんはこんな話を望んでないわなあ・・」と思いつつツイートを続けていた。

 

やがて「いいね」がつくことが快感になっていった。自分を認めてもらえている気がして。逆に「いいね」がつかないツイートは、フォロワーの意に添わなかった、あるいは私自身に魅力がないからだ、とネガティブに受け取るようになっていった。

ツイッターが、私や娘の人格に対する通知表のように感じられる。ツイッター依存状態になっている。頭では理解できていた。でも、冷静さを失っていく心を抑えることができない。

 

SNSは半匿名の場。顔も本名も知らないけど、アカウント名で個人を特定できるので、仲良しになる人、疎遠になる人が分かる。私がフォロワーさんと話をしている間に割り込んできて話をさらっていく。

 

勝手に私のことを「弟子」と呼ぶようなおかしな人まででてきた。確かにその人から教えてもらうことも多かったが、逆に私がその人の息子に勉強を教えてきた経緯もある。

私としては、教える教えられるの関係において対等だと感じていたが、相手はどうやらそうではないようだった。

 

完全匿名の旧2ちゃんねるなら、「名無しさん」のままやりとりしてれば、ID番号が一応ついてはいるけど、1日経てばIDは変わり、別人格として投稿ができる。

アカウント名(コテハンと呼ばれていた)を名乗ることや、特定の人と延々やりとりをすること(馴れ合い)には、厳しい目を向けられた。

DM機能もないから、裏で口裏を合わせて「〜さんはブロックな」という画策もできない。そもそも日付が変われば誰が誰だかわからなくなるんだから、変な共同戦線を張りようがない。そういう意味では健全で風通しの良い場所だった。

それに、誰が誰に話しているのか分からんから、「こんなことをツイートしたらあの人が気を悪くする」といったウザい忖度などいらない。

 

旧2ちゃんがネットの主戦場だった私にとって、ツイッターというのは日常生活の延長みたいで窮屈だった。フォロワーさん達の空気を読んで、言いたいことを言えないネット空間に何の意味があるんだろう。そういうのはリアルの世界で十分じゃないか。

 

ツイッターをやっていたことで知り合いになり、何度かリアルでお世話になった人達もいる。それはとてもありがたかった。

けれどそういう人たちだって、自分の興味と関係がないツイートをし続けている人間とは、段々距離をあけていくものだ。リアルと同じだ。

「話が合うかな」と興味を持って近づいても、「あ、違うわ」と去っていく。完全匿名ならそんな悲しさを感じずに済む。でもツイッターは違う。誰が近づいてきて誰が離れていったのかがよくわかる。

 

ネット上の仏壇としてここまで続けてきたけれど、人が離れていくたびに「私に魅力がないんだ」ってことを突き付けられるようでいたたまれない。

にもかかわらず、ここまでずるずるツイッターを続けてきたのは、遺言のせいでもあり、私自身がツイ廃になっていたせいでもある。

タバコや酒や麻薬と同じだ。私は完全に依存症になっていた。何か決定的なことがない限り、依存を断ち切るのは難しいな参ったな・・

 

そんなことを考えていた矢先に決定的なことが起こった。

今さかんにテレビなどで取り上げられているように、私が住んでいる県は台風で甚大な被害を受けている。おそらく日本中の誰もが知っている。

でも「大丈夫でしたか?」と声を掛けてくれた人はほぼ皆無と言ってよかった。

 

こんなコミュニティに気を使って話題を選び、「いいね」に喜び、マウントとられてイヤな思いをしてたのか。

さーっと気持ちが離れた。アホらしいにも程がある。

 

娘には悪いけど、もうツイッターで誰かとやり取りをするのは止めようと思う。「あの人を応援してくれ」という遺言は守る。

あのアカウントでブログ更新告知をしていたので、ブログから新たにフォローしてくれた人もいる。だから、応援と更新告知はやろうと思うけど、あそこはもう私の居場所じゃない。

 

私の脳内には、家族性多発性脳海綿状血管腫という血管奇形がある。じわじわ出血してじわじわと身体の機能が損なわれていく奇形。少しずつできないことが増えていく。

思考能力や身体がそれなりに動くうちに、私にはやっておきたいことがたくさんある。パソコンの前でツイ廃やってる場合じゃない。

 

災害見舞のツイートがほぼなかったことで、私も流石に目が覚めた。軽いやり取りをしたり、ツイッターのお陰でリアルでも会えた人たちもいるけれど、もうあそこは私の居場所じゃない。

 

SNS疲れにも色々種類があるのかも知れんけど、「いいね」がつかないとか疎外感に苦しんでる人がいたら、私はこう言いたい。

SNS上のあなたは、あなたのほんの一部分にすぎない。「いいね」の数は通知表じゃない。SNSだけがあなたの世界の全てじゃない。

どうしてもツイートの禁断症状が出るなら、鍵アカ作ってひとりでつぶやいて、段々症状を和らげていくこともできる。リアルの世界で何か楽しいことをしてもいい。その方がよほどタメになる。

 

もしネット上に何か書きたいなら、ブログを書いてみてはどうだろう。ツイートは時間と共にTLを流れていくから、いくらしっかりしたことを書いても蓄積されていかない。

 

本を読んだり他の何かに時間を割くことでブログのネタになる経験ができる。書く内容に深みが出てくるはずだ。馴れ合いのお友達はできなくても、内容がしっかりしていれば、いつか誰かの役に立つかもしれない。書いてる内容がどーでもいいことだったら誰からも相手にされまい。

 

リアルの友人・知り合いがいてなかなか止められないって人は、「スマホの機種変した時に、パスワードとか忘れて入れなくなった」とか「最近忙しい」とか、とにかく言い逃れはいくらでもできる。

でも、諸般の事情で、自分もツイッターで何かを発信しないといけない人は、仕事だと割り切ってしまってはどうだろう。

発信し続けてるのに誰にも絡まないでいると、「最近私のツイート見てないの?まさかフォロー外してる?」と文句を言ってくる人がいるかもしれない(私にはいた)。そしたら、てきとーに「どうでもいいね」を時々押してやればいい。

 

あなたの価値はSNSごときで測れない。どこの誰だか知らない興味の方向が違う人に、あなたのことなど分かりはしないのは当然だよ。

 

自戒を込めて。リアルを大事にしようね。

だって本当にどうでもいいんだから。

 

顔が見えない相手だからと、丁寧に下手(したて)に出過ぎてたのかもしれない。場の雰囲気に遠慮し過ぎてる姿が良くなかったのかもしれない。

 

文章と文章で理詰めのやり取りをするのが好きな私には、正直言って、仲良しさんを演じないといけない場所は辛い。

台風15号の被災地 千葉県に住んでいる私が考えた 災害への備えと支援

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2019年9月9日に東京湾に突っ込む形で上陸した台風15号は、台風の目の右側地域を無残な姿にしてしまった。上陸時の気圧は960hPa。沖縄を直撃する台風と同じレベルだ。ここまで気圧の低い台風が本土にやってくることはほぼなかった。

 

成田空港から出ていく交通手段が完全になくなり、空港内に乗客があふれかえる。交通機関が動かなくなった原因を調べると、「こりゃ今日中にどうこうできるレベルじゃないな」と気づいた。きっと今日中に空港から出られないんじゃないか・・。案の定、そうなってしまった。

被災地から飛ばされてくるツイートは悲惨なものばかりだ。町並みは大震災後のように変わり果てている。水もない。電気もこない。東京電力のサイトで確認すると、千葉県の面積9割が停電状態だ。

 

うちは台風の目に入ったお陰で、強風にさらされる時間が短くて済んだ。けれどあともう10キロくらい進路が西寄りだったら。私も被災者になっていた。今回の災害は他人事ではなかったんだ。

 

それを知ってから、毎日色んなことを考えた。

なぜもっと早く報道されなかったんだろう。ここは東京から1時間もかからない場所だというのに。東京に通勤通学している人は非常に沢山いる。なぜ状況が拡散されなかったんだろう。

支援物資をもっと効果的に素早く届ける方法はないだろうか。甚大な被害を受けた地域は、房総半島という長くて細い地域に集中している。普段から交通アクセスがいいとは言えない場所だ。

千葉県の対応はこれでいいんだろうか。県知事や県庁が何をしているのか、県民にすらみえてこない。行政のトップがいち早く継続的に情報を流している市町村はごくごくわずかだ。

ほぼ未曾有といっていい自然災害に備えて、何をどう準備すればいいんだろう。特に私は脳海綿状血管腫のせいで少し手足の動きが悪い。普通以上に慎重な準備が必要だ。

 

最初に報道されたのが缶詰め状態の成田空港。ああなった時に何をすればよいのか。35年間ひとり旅海外バックパッカーをやってきた私は、こんなことを考えてみた。

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 空港に缶詰めトラブル!旅歴35年のバックパッカーが教える「確保すべき3つのアイテム」 | いめゆんな 半世紀を越えて

 【空港で缶詰め】どうしても今日中に行きたい場所があるあなたへ | いめゆんな 半世紀を越えて

 

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ツイッターでどんどん現地の惨状が流れてくるのに、なぜマスコミはそれをニュースにしないのか、と思うようにもなった。

台風15号通過後の千葉で「マスコミがあまり取り上げない災害」の条件を考えた | いめゆんな 半世紀を越えて

今でこそワイドショーなどでも沢山取り上げられてはいるけれど、たった1時間程度の距離にあるのにこの温度差の違いはなんだ、と当初は思った。 

水がない!というツイートも沢山流れていった。熱中症で亡くなっていく人が出ている。半島の先端までの道は狭い。大量かつ迅速にモノや情報を届けるにはどうすればいいか。

台風後の千葉で 被災地にモノと情報を安く届ける方法を考えてみた | いめゆんな 半世紀を越えて

 

こういう記事を別ブログにupしていくうちに「千葉 物資 輸送」「千葉 支援 状況」といった検索ワードでブログにやってくる人たちが増えた。物を送ろうとしている。ひょっとするとボランティアに行きたいのかもしれない。でも今は専門家に任せた方がいい。検索で来た人に状況を伝えようと思って、こんな記事も書いてみた。

台風被害に苦しむ千葉への支援・物資輸送をお考えの方へ | いめゆんな 半世紀を越えて

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 私が住んでいるエリアと違い、あの土地で生まれ育ち長くそこで生きている人達が沢山いる場所だ。

今は自衛隊東京電力関係者などのプロに道路や場所を優先して使ってもらう時期だと思う。

でもその後、現場のインフラが復旧したら、次は家や店をどうするかという問題になってくる。一般のボランティアが必要になってくるフェースは、もう少し先になるだろう。

もしそうなった時。どうか千葉県に温かい援助をして下さる方がいれば嬉しい。移住組の私も嬉しいなと思う。

一刻も早い復興を心から願っている。 

私が言葉を忘れないうちに。脳海綿状血管腫を持つ私には 同病者に届けたい言葉がある

私の脳内には、家族性多発性脳海綿状血管腫という血管奇形が無数にある。じわじわと出血を繰り返して大きくなり、少しずつ身体の自由を奪っていく厄介なブツ。大出血を起こせば、人生一発退場になる。

 先日 夜間外来に緊急搬送されたのも、原因はこの血管奇形だった。

私も結構壊れてきたな・・

そう思った時、自分たちの病歴を記録に残しておこうという強い気持ちが抑えられなくなった。 

「自分たち」。そう、複数形。この血管奇形を持っているのは私だけじゃないんだ。母方の遺伝子を受け継いでいる身内が全員、この血管奇形のせいで身体が不自由になり、重度の障害者や植物人間状態を経て、あっけなくこの世を去っていった。 

発症が一番遅かった私は、自分以外3人の発症から死亡までの一部始終を見てきた。何に困り、何に悩み、何度も死にたいと言い続けてきた姿を覚えている。医師の説明や緊急処置についても全部覚えている。 

海綿状血管腫の患者ブログがないわけじゃない。でも、4人分の情報を持っている人はいない。だから書き残しておきたい。見やすいレイアウトで自由に書けるWordpressの別ブログで。

 以下の2つは、別ブログに書いた記事の一部です。

yakusugi.net

yakusugi.net

 

その別ブログでは、読者がどんなキーワードで検索して遊びに来てくれたのかが分かるしくみになっている。

最近、検索ワードに

「脳海綿状血管腫 生活が苦しい

「脳海綿状血管腫 治療費

「脳海綿状血管腫 寿命

「脳海綿状血管腫 妊娠

「脳海綿状血管腫 予防

といった切実なものが増えてきた。病名の後ろについている言葉は患者の叫び声だと思う。知りたいのは医療情報だけじゃないんだよ。 

 ちなみにこの病気は、現代の医学では予防は不可能。手術で取り除ける人ばかりじゃない。脳の深いところにある血管腫は、出血を繰り返し続ける。そしてじわじわと身体が壊れていくんだ。

 

検索で来てくれるのはいずれもbingという検索サイトから来た人たちばかり。Googleの方は、個人の闘病サイトが表示されるのはうしろの方。病院サイトを優先表示するってのがGoogleの方針だから。 

どんな検査をされるのか。何に気をつけて暮らせばいいのか。

治療にどれだけお金が掛かるのか。

生活が楽になるサービスや情報はないのか。

どんな後遺症が出るのか。社会復帰できるのか。

患者にとって必要な情報は、同病者のリアルな声。少なくても私はそうだった。

 

wordpressのブログは、「はてな」と違って検索流入が命。ブログの存在は検索によってはじめて認知される。Wordpressで書いた私の記事が、Google経由で患者さん達の目に触れる機会はあるだろうか。 

 

届いてほしい。

私だっていつまで生きていられるか分からないから。 

 

 次に続く患者さんのためになるなら、病人だらけの家で生まれ育ち、自分も病人になってしまった、そんな我が身が少し救われる気がして。 

 もしこのブログを見てくれている人の中に、脳海綿状血管腫に限らず、脳出血脳梗塞などで苦しんでいる人がいたら。あるいは、大切な人が脳血管の病気で悩んだり辛い思いをしていたら。この記事がお役に立つと嬉しいです。  

yakusugi.net
yakusugi.net

 

私が文字を打てるうちに。

私が言葉を忘れないうちに。 

どうか少しでも多くの人に届きますように。私は、4人分の患者データをこの目で、この身体で収集できたレアな人間の1人だと思ってます。 

 

脳海綿状血管腫だけでなく、脳出血脳梗塞などの患者さんにも通用する記事も書きました。

yakusugi.net

脳出血脳梗塞も命の爆弾です。いつその人に致命的な被害をもたらすか分からない。でも、しっかりと準備しておけば麻痺は軽くて済みます。命が助かる確率もあがります。

持ち歩くべきモノや情報は、4人の海綿状血管腫患者の経験を踏まえて作りました。 

 

脳血管に問題を抱えている方々に私は伝えたい。

大切な人の命と身体の自由を失わないよう、是非しっかりとした準備をなさってください。

闘病は情報戦です。正確な医療情報と患者のナマの声を沢山集めてください。

準備は悲観的に。暮らしは楽観的に。しっかり備えて最大限楽しんで毎日を生きていきましょうね、お互いに。

 

もしこのブログ記事がどなたかの目に留まったら。

facebookツイッターなどのSNSで拡散頂ければ嬉しいです。Google検索で患者側の情報を検索するのは非常に難しいから。

 

一応、国内外の学術論文や医師が書いたサイトのリンクを貼ってあります。医者ではないけれどテキトーなことを書いてる訳じゃないです。リンクをたどれば分かります。

病院のHPの情報をつなぎ合わせてアフィリエイトをやってる人がいます。血液が飛び散る画像を使って不安を煽るようなサイトは悲しい。そして、その人自身の経験はそこには一切書かれていない。

脳海綿状血管奇形に関しては、今現在も更新中のブログはほぼ皆無です。だから私は、私が文字を忘れるまで、手が動かなくなるまで書き続けます。

少しずつ身体の機能が落ちてきてますが、それでもこんなに楽しいことができてるよ、という前向きな話もお届けしたい。私はまだ現役の ひとり旅バックパッカーです。障害者手帳を持っていますが、まだ大丈夫。そんな姿も伝えたいんです。

 

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脳外科病棟のタメグチ介護師に私は言いたい

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沖縄弾丸旅行が終わりに近づこうとしている時、右手足の感覚がおかしいことに気づき、私はだんだん焦りはじめた。

 

私の脳内には無数の海綿状血管腫という血管奇形がある。じわじわと小さな出血を繰り返しながら大きくなる。奇形がある場所によって、でてくる症状は様々。

私の場合は、奇形のうち1つが手足や言語をつかさどる領域にある。しかも他と比べると大き目。そのせいか、手足や言語の症状は頻繁に起こる。

 

羽田空港から乗った空港バス車中で、とうとう右手が何を触ってるのか分からなくなってきた。このまま家に帰ったらマズいかもしれん。しかも夜中だ。タクシーが止まっている駅で降り、そのままタクシーで救急病院に突撃した。

 

CTとMRIを撮影した結果、やはり手足と言語の部位で、少しだけ出血してるかも知れないですね、という診断だった。それに返事してる私の口が段々もったりとしてきた。

 

朝起きてみると、私がいる病室には5人の女性。みな大きな脳出血や脳こうそくを起こして半身不随になっている人達だ。うち3人はおむつをつけており、定期的に交換が行われていた。

私はというと、感覚鈍磨はあるけど動かす機能には大きな変化がない。でも危ないから念のために・・ってことで車椅子でトイレに行け、との指示が出ている。

 

「トイレって廊下出てすぐだよ。歩けるよw」

と思いつつも、ここは病院だから大人しく指示に従っていた。

 

看護師さんが連れてってくれる時は言葉が丁寧で、本当に申し訳ないです私は歩けるのに・・と恐縮するばかりだった。

 

ところがだ。

 

看護師さんに混じって介護師というんだろうか、白衣じゃなくてジャージとポロシャツを着ている人達がいる。彼女たちがエグいんだ。

同じように車椅子に乗せられたあと、とにかく初対面の人間にも関わらず敬語が使えないどころか

「あんた!足が邪魔!動く方の足は上に上げて!レバーも引く!何してるの?!」

万事こんな調子だ。

 

私は病院の指示でやむなく車椅子に乗っている。でも本当に自力で歩けない人が同じ目に遭ってたら、情けなくて情けなくてやりきれないんじゃなかろうか。

イヤなら「私は歩けるから、あなたの手助けはいらねーのw」とつっぱねる自由がある。

でも本当に手足が動かない人はそうはいかない。何を言われても、その人の手を借りなければトイレに行くことができない。黙って「ありがとう」というしかないじゃないか。

 

楽な仕事ではない。キレイな仕事でもない。国家資格を持って働いている看護師と違い、介護担当者の給料は多分激安。やってられねーよ。そんな気持ちになるのは分からなくもない。

 

でもな。

にこやかに丁寧にしろとまでは言わない。せめて(棒)でもいいから、敬語らしきものを話そうぜ。

あんたらが運んでるのは岩でもなければ巨大な丸太でもない。

動かなくなった身体の機能を少しでも回復させようと思いつつも、現実の過酷さに心が折れそうになってる人間なんだよ。

 

私は今も病院にいて、「あら、意外としっかり立てるのね」と言われながらも、まだ車椅子に乗せられてトイレに行き、ストレッチャーに寝かされてMRI撮影などに連れて行ってもらってる。

 

名前を知られてるからヘタなことはできないけれどね。

 

私の周りにいる人達、数十年前の父や母のような身体になってるんだよ。両親がぼそっとぼやいてた言葉が今でも浮かんでくるんだよ。

 

生殺与奪を握られてるから仕方なく何をされても「ありがとう」と言ってるけど、それが情けないと。

 

私、そう遠くない将来に車椅子の世話になることはなくなると思うけど、その前にまた介護師が押す車椅子に乗る機会があったらいいなと思ってるんだよね。

 

「なんでそんな話し方をするねんアンタ。私のこと、ナメてんの?医師の指示で車椅子移動ってなってるけど、私は歩けるねん。歩行機能に問題はないんや。汚い口のききかたをする人の助けはいらん。車椅子、片付けてもらって構わんから、トイレから出ていって、ほら早く」

 

言えたらいいなと思う言葉が、心の中でごろんごろん回転してんだよ今。

 

障害者をナメんじゃねえ。

 

目の前でおむつ変えられてる人達を見るにつけ、そんな言葉が頭に浮かんで仕方ないんだよ。

 

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変人夫婦論 お盆に義実家へ行く意味が分からない

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私は結婚してもうすぐ25年になるけど、盆と正月に夫の実家に行ったことがない。夫もそうだ。年始のご挨拶とか、法事の席にやってきたこともない。

 

どちらの両親も「うちの子も変わり者だからねえ・・(だから配偶者が非常識なのも仕方ないよね、お互い様よね)」って諦めてるみたいだ。

それを聞いて夫も私も

「他人の親に会って楽しいはずないじゃんw 人生は楽しく生きないと。形式って嫌いなんだよねー。うぜーもん」

と笑うだけ。お互いに堂々と変人なので。

 

人間は工業製品じゃないんだから、ひとりひとり考え方も性格も違う訳で。なのに、何かを気にして自分らしさを削り、世間が決めた「正解」枠に収まろうとする。生きづらいにきまってんじゃん。

 

自分の生き方を決めるのは自分の価値観。それだけでいいんじゃないの?「世間の目」?世間って何よ。「常識的にこうすべきでしょ」?誰が決めたんだよその常識。なに上から目線でヒトサマの人生に指図するわけ?

 

お盆だ。

毎年お約束のように、新幹線のホームで帰省客にマイクを向けるテレビ局。子供は無邪気に「たのしかったああ」と言い、夫は「久しぶりに実家に帰ってゆっくりできましたね!」と笑う。同行した奥さんのコメントはとろうとしない。

気をつかって親戚に半笑いしたり、召使いみたいに家事を押しつけられてるんだとしたら、帰省なんて拷問だよね。年に2度やってくる地獄よね。違う?

 

帰省の様子を見るたびに思うんだよな。母親がいないとどうしようもない乳児をつれてくならまだしも、子供がある程度大きくなったら、奥さんいらなくね?

 

義実家が大好きな奥さんは一緒に行けばいいと思うよ。でも、義実家が嫌いな奥さんにはこう言いたい。なんで行くの?

 

普通はそういうもんだから?

夫が機嫌を悪くするから?

舅や姑がうるさいから?

母親がいないと子供がぐずるから?

(父親に懐いてない?子供の世話ができない父親?)

 

私にはよく分からん。

 

我々夫婦は、いわゆるオトナとしてのお付き合いってのをやらないから、表面的なつきあいの「友達」は少ない。大して気が合わない「友達」なんて、あんまり要らなくない?ストレスの元にしかならない気がするんだけど、どう?

 

変人は、変人っぷりを隠さずに生きた方がいい。常識人であることを求められなくなるから楽でいい。

それに、同じ方向性の変人と出会うチャンスに巡りあいやすくなるメリットもある。「気が合いそうだ、一緒にいて楽そうだ」と思ってくれる人が近づいてくる。合わない人間は離れていく。

 

 

普通の人っぽく見せるために苦労すると、さらに苦労が待ってる。ずーっと普通の人として振る舞い続けないと、これまでの人間関係が壊れてしまう。壊したくないなら演じ続けないといかんしね。

 

義実家につれてかれる奥さん、いい嫁でなくてもいいじゃんか。行きたくないなら行かなきゃいい。おかしな嫁だと思われても、どーせ遠くに住んでるんなら、無理に新幹線に乗らなくてもいいじゃないの?

 

夫が許さない?なんで夫の方が偉いわけ?なんで夫はあなたの生き方の決定権を握ってるの?決定権を譲り渡してしまったの?そんなことするから辛いんだよ。

舅姑がうるさい?こう言ってはナンだけど、統計的には彼らの方が先に死ぬ。言わせておきなさい。そのうち静かになるから。

 

どうしても義実家に行かざるを得ないなら、いい嫁を演じなければいいかもね。酒かっくらって別室で寝てしまうとか、空いてるグラスにビールなんかついでやらないとか、皿は洗わない、料理の手伝いもせずテレビかスマホゲームやってるとか。

 

敢えて空気は読まない。空気ってのはね、読むもんじゃなくて、吸うものなの。

 

実家の親に姑がクレーム電話を掛けまくる?お母様の性格にもよるけど、「すいませんねええw至りませんで(ハナホジ」でどうかしら。

強気に出るなら

「『うちの娘がいい』って結婚の申し込みに来たのはお宅の息子さんですがな。文句は息子さんにどーぞ。いい歳した大人のやることに口をはさむのは余計なお世話ってもんですよ。あの子達はもう独立した夫婦。大人です。問題解決は当人同士で話し合って決めさせるべきではないですかね?いつまで息子さんのことを幼児扱いしてるんですか?」

確実に姑はキレると思うけど、状況が許すならここまでいっちゃってもいい気がする。変人的には。

 

職場ではどうするの?って?

チームプレイ最優先の職場は選ばない。そして、しっかりした結果を出せば済む話だ。「普通」でない人でも十分つとまる職種って、それなりにあるもんよ。

沖縄大好きな本土の人間が沖縄の人達に伝えたいこと

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今日は少しセンシティブなことについて書こうと思う。

 

沖縄の方と話したりツイートのやり取りをする時に、「この方は本土(沖縄県以外の日本)のことをどう思っているだろう」といつも気にしてきた。私達の間には、悲しく残酷な歴史があるからだ。 

 

今まで心の中で思ってきたことを記事にしたいと思ったのは、以下のツイートがきっかけだ。

 

①阿波根(あはごん)さんは沖縄の芸能人のひとりで、沖縄語についての番組を持っている。  

②本土の人間が嫌いだとお書きのウチナーンチュ(沖縄の人)のツイートも流れてきた。

 「ヤサ!正にウリヤサ」とは、「そう!正にそうなんだよ」という意味だ。

 

失礼を承知で直球を投げさせてほしい。

無意識のうちに本土への劣等感をお持ちになっているんじゃなかろうか。だから「方言」「地方」という言葉に敏感に反応するのかも知れない。「土人」と言われた時に言い返せずに固まってしまったのも、ひょっとすると同じ理由かもしれない。

それだけ受けた傷が深くて痛いんだろうな、と私は勝手に想像した。そして悲しくなった。

 

私が生まれ育った大阪に置き換えて考えてみた。大阪は、東京に負けてたまるか!という雰囲気が強いと言われる。でも、大阪は日本の一都道府県に過ぎないし、大阪弁は方言だと堂々と言える。腹など立たない。「大阪が日本の中心だ」とも思わない。行政の中心は東京だ。別にそのことでプライドを傷つけられるような気分にはならない。それは、大阪という土地に引け目や劣等感を持っていないからだ。

 

「キレイ事を言いやがって」と思われるかもしれない。でも本音で書いている。素晴らしい文化を持っている沖縄は、本来なら卑屈になる必要なんてなかったんだ。堂々とアジア諸国とわたりあい、貿易をして栄えてきた国だったんだ。本土に引け目や憎しみを感じる必要などない、立派な文化を持った独立国だったんだよ。

 

本土からの転校生に「土人」なんて言われたら、思いっきり怒っていい。ボコボコにしてやればいいんだよ、そんな失礼なナイチャー(本土の人間)なんて。大阪でそんなことを言う転校生がきたらタダでは済まない。ここは大阪だ。ナニサマだと思ってんだお前。

 

上記ツイートのような思いを持っているウチナーンチュの方に、私の声が届くならこう言いたい。

 

かつて沖縄の人たちのことを「二等国民」などと言い、言葉を奪い、就職差別をしたのは本土だ。悪いのはあなた方じゃない。だから、理不尽なことをされたら胸を張って怒って下さい。

沖縄固有の言葉(琉球語と呼んだりウチナーグチと呼んだりする)を勉強している本土の人間は、少ないけれど確実にいます。沖縄の踊りや演劇、昔の本を読んだりするのには、言葉が分からないと話にならないですから。

 

実は、私もウチナーグチを学んでいるナイチャーのひとりなんです。ウチナーグチは素晴らしいですね。そう思うからこそ、カネにもならない言葉を私は勉強してるんです。来年は沖縄の大学で言葉を本格的に勉強する積りなんですよ。

 

 ③この方のような気持ちの方が増えるといいなと願ってやまない。

  

 

 

 

 阿波根あずさ さん。ウチナーグチ講師養成講座ってのがあることを、あなたのツイートで知りました。言葉を残し文化を大切にする試みが、是非大きな花を咲かせてほしいと、沖縄に全く血縁者がいない私ですが、心から願っています。

 

ちるだい夫人さん。失礼なことを言うナイチャーは、容赦なく懲らしめてくださいね。いい意味で強気でいて下さい (^-^) 

 

講師の時間を無償で奪うことを当然と思う受験生に

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愚痴りたいと思う。不快だったらすみません。

 

私は副業で予備校講師をやっている。毎年のことだが、突然

「過去問を解いたんですけど答えがないので採点して」

とか

「自分がやってる問題集の長文和訳を添削しろ」

と、講師が引き受けるのは当然だと言わんばかりに、いきなりノートを差し出してくる生徒がいる。

 

これを読んで下さる人は、

「先生なんだから、勉強してきた子を誉めて、喜んで採点でも添削でもしてあげるのが当然でしょ?」

と思うかもしれない。

 

でも考えてほしい。

学校の先生の部活動が無給で、休日がつぶれてしまうのと同様のことがここでも起こっているようなもんなんだよ。

 

私は体調等の関係で、予備校での副業は週に1回、講義時間は3時間。夏や冬の季節講習も、家の近所にある校舎1つにしか出講しない。

ところが、この仕事で生計を立てている大半の講師は、夏も冬も複数の校舎を掛け持ち、朝から夜遅くまで授業を持っている。小論文担当講師は、授業の他に小論文を毎日100枚近く添削して次の日に返却しなきゃならんのだよ。

 

自分で選んだ仕事だとはいえ、この時期の予備校講師は、時間的にも体力的にも相当の綱渡りをして夏を乗り切ろうとしてるんだ。しかも、塾の先生と違って、予備校講師の多くは時給で働いている。授業外に大量の質問や、何年分もの過去問採点をするだけの余裕もなければ、申し訳ないけど義理もない。

 

言葉を選ばずに言うなら

講師が採点を引き受けると約束した訳じゃないのに。自分が勝手にやってることなのに。どうしていきなり当然のようにノートを突き付けてくるんだろう。 

子供だから仕方ないと言えばそれまでだけど、他人の貴重な時間を無料で奪おうとしている行為なんだからな。勉強してるのに!というのは免罪符にならんのだからな。

 

第一、過去問の答えが分かったところで、全く同じ問題など出ない。現代文なら出典は日本語だからまだしも、英語だと出典は世界中からひっぱってこれる。

文法問題だって、その過去問で断片的に学ぶより、しっかりした問題集や参考書で力をつけていれば、講師に全部丸投げしないと自分の出来が分からないなんてマヌケな事にならずに済むんだよ。

 

教育産業の外にいる方の反感を買うことを承知で書いた。

 

私のところにも時々そういう子達がくる。でも、一度でもそういう子達を講師が抱え込んで手とり足とり個別指導をすると、色んな弊害が出てくるから、申し訳ないけどやんわり断るようにしている。

 

弊害のひとつめ。

講師に丸投げして解説してくれるのが当然だと思うようになると、自分でものを考えなくなる。だから成績が伸びなくなる。

 

もうひとつ。

特定の子の要望にかまけていると、他の生徒が質問しづらくなる。講師が教室にいられる時間は限られているので、いつも長時間あれこれ質問をし続ける生徒がいると、他の子達は待ち切れずに質問をせずに帰ってしまう。同じ授業料を払っているのだから、質問の機会は極力均等であるべきだと思うんだよね。

 

明日からまた講習が始まるんだけれど、授業と関係がない質問ばかりを持ってくる子がいたら、傷つけずにどう説得すればいいか。ちょいと気が重い夜を過ごしている。予備校講師は人気商売でもあるんだ。生徒のアンケートが悪かったらばっさりクビが飛んだりするからね。

 

実は、私も少しだけ添削を預かってしまった。この子は合格実績の為に個別指導してほしいと教務からやんわりと言われている子なんだよな。

でも本音を書くなら、そこまで言うなら時給を払え。善意を無償で食い荒らすようなことはやめてくれ。

 

・・これは完全な私事ではあるんだけど、一昨日、脳血管奇形から来る軽い発作を起こして家で倒れたんだ。3連休だったんだけど、発作の余波は今日になってもすっきりとはとれず。

私は右半身が脱力する発作を起こす。だから、添削しろといわれても、小さな字が書けないんだよな。書こうとするとまた脳が混乱して調子が悪くなる。だから非常に気が重い。

 

ごめんな。授業を成立させることが最優先になってるのは、私だけじゃなくどの講師も同じなんだよ。

 

頭の中のもやもやをそのままにしておくと脳の混乱を招くので、一気に言語化して画面にぶつけてみた。

 

健康な講師は私の何倍も講座を担当してて激務だから、私なんか以上に、彼らの時間を無償で奪うようなことを当然だと思わないでほしい。生徒も、教務も。