●心の中の森を行く●

生きた証を残したい。私が言葉を忘れる前に

心に溜まった汚泥を捨てて生きていく

長く生きていると、誰だって大なり小なり汚泥のように心にへばりつく不快感を抱えて暮らすことになる。溜まってくると心が重くなり、やがて重さに耐えられず歩けなくなる。

だから、倒れて動けなくなる前に汚泥は掻き出してしまわねばならない。

 

トラウマという心の致命傷は、専門家ではない私にはどうすることもできない。

けれど、自分で掻き出せる心の汚泥は、除去できる限り除去して心を少しでも軽くしたい。

 

人並みに暮らせるようになった今でも、気がつけば昔のつらかったことばかり考えている自分がいる。

私の人生はもう半世紀を越えた。まるで自らに懲罰を与えるかのように、昔の辛い体験ばかりを思い出す自分を捨ててしまいたい。

いわば、心の断捨離だ。

 

本当の断捨離と同じで、自分が持っているものを全部出し、要るものと要らないものを分別することから心の断捨離は始まる。

とはいえ、心の中にあるものには形がないので、押し入れや物置から引っ張り出してくることはできない。

目に見える形にして目の前に並べ、「もうこれは過ぎたこと。これからの自分には必要のない感情だ」と自分に言い聞かす必要がある。

そのために私は、心の中に溜まった汚泥のような不快な思い出を文字にすることにした。

自暴自棄になって心が暴走しないよう、人の目に触れる場所で。

 

登場人物の中にはまだ存命の人もいるので、起こったことをすべて赤裸々に描くわけにはいかない。フェイクも入っている。

それでも。

書き残せるうちに。覚えているうちに。指が動くうちに。

 

自己憐憫に浸りたいわけではない。私より過酷な人生を送ってきた人はたくさんいることも分かっている。けれど、平凡という言葉が似つかわしくない人生を送ってきた気はしている。

友人に話して慰めや肯定を得る方法もあるけれど、それも度が過ぎれば相手を困惑させる。自分に経験がないことを想像するのは大変で、慰めの言葉を考えるのは大変な作業だ。だから誰かが何とかしてくれると思ってはいけない。

 

なので私は、noteという場所を借りて、自分で自分の人生の棚卸を始めた。45年以上前の記憶や出来事をさかのぼり始めている。

 

note.com

 

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人生には時として、死にたいと思うほど辛いことはたくさんある。「死んで楽になりたい」と思っても仕方ないよね、本当に辛いよね、と思わざるを得ない出来事を抱えておられる方々がいるのも知っている。

だから、苦悩の果てに自ら命を絶つ人を責める気持ちも毛頭ない。「あなた一人の人生じゃないんだから!」といった陳腐な言葉で自殺を止めようとは思わない。残った人を悲しませないように己を殺して生き地獄を生きていけ、というのは酷だ。

 

でも、心の中の汚泥を掻き出して心が軽くなりそうなら。あるいは、環境を変えて自分を生まれ変わらせることができそうなら。行動する価値はある。

 

運がよければ、こんなバカをやって笑える未来がやってくるかもしれない。「いめゆんな」「牧川冴子」「屋久杉」というのは、私がネット上でものを書くときに使っているペンネームだ。