●心の中の森を行く●

生きた証を残したい。私が言葉を忘れる前に

喪失感は心の奥に真空地帯を作る

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大切なものを失った時、人の心には大きな穴が空く。

 

私は既に両親と娘を失っている。長年重度の身体障害者として生きてきた両親に関しては、子供なりにある程度の覚悟をしていた。身体障害以外にたくさんの病気を併発していたからだ。

ところが娘は突然家の中から消えてしまった。家のどこを見てもそこに娘だけがいない。座っていた椅子、寝ていたベッド、残していった制服。どこを見ても娘がいない。

 

大切なものの喪失は死別だけではない。失恋もそうだ。そして失うものは生き物の命だけではない。大きな目標を失った時にも私たちは喪失感を感じるものだ。

 

心というものは、穴が空いたままではいられない性質を持っている。何かで穴をふさぎたい。穴をふさいでくれるものはないかを必死に探し求めている。吸い込みたがっている。その様子はまるで、真空地帯のフタを開けた瞬間に一気に空気が入り込んでいく様子に似ているなとよく思う。

 

失ったものが大切であればあるほど冷静さを失う。心の真空状態も強い。だからこそ強く意識しておかねばならない。何で穴をふさぐのかを間違えたら、その後の人生を狂わせかねないと。 

寂しさを紛らわすために酒に逃げる。くだらない男を渡り歩く。怪しげな新興宗教にお布施し続ける。買い物依存になる。その辺からガラクタを拾ってきてゴミ屋敷を作ってしまう。

心の穴を埋めることを急いではいけない。混乱と悲しみの中にあっても、残っている少しの冷静さで踏みとどまってほしい。そして考えてほしい。

これで心の寂しさを埋めて、将来の自分は本当に幸せになれるだろうか。おかしなものを吸いこもうとしてるんじゃないか」と。

 

空いている穴を敏感に探し当てて向こうから近付いてくる鼻の利くやつらもいる

両親を相次いで亡くした時、母のいとこにあたるおばさんから電話があった。要旨はこうだ。

「あなたの信心が足らないから両親が病気になり、こんなに若くして亡くなった。功徳を積まねばならない。この宗教に入信しなさい」母と仲良かった人なのでガチャ切りもできず、しばらくは言われるままに聞いていたけれど、「親が死んだのはあなたのせいだ」と言うような人の話は二度と聞きたくない。「もう充分です、結構です!」と言って電話を切り、大声をあげて泣いた。

別の親戚からは、某宗教新聞の定期購読を勝手に申し込まれていた。新聞販売店に連絡したら、「~さんの名前で、今月から新聞を配達してくれと言われた」とのことだった。新聞紹介数が増えれば功徳が積めるシステムなんだろうか。

どちらの親戚も私に不快感を感じさせてくれたおかげで、宗教の勧誘に巻き込まれることはなかった。当時はまだ若くて判断力もなかったので、不快感が防波堤になってくれてよかったなと思う。

 

 

喪失感は人の身体と心をひどく消耗させる。自分でできる回復方法のひとつは睡眠だ。少なくても私には有効だった。

両親がたてつづけに亡くなった後は、「寝よう!」と意識しなくても、身体の方から睡眠を欲してきた。夕食を食べながらそのまま朝まで寝てたこともあるくらい、とにかくとにかく眠かった。

 

もうひとつ有効だった方法は、頑張っている人を応援することと、健全な趣味にのめり込むことだった。

私は沖縄固有の言葉で「うちなーぐち」と呼ばれる言葉をイチから勉強した。娘がやりたくて叶えられなかった夢のひとつだったからだ。代わりに叶えてやりたかった。

教材がほとんどなく周りで使ってる人もいない言語を学ぶのは大変だった。泳げないのに大海に放り込まれた気分だった。悲しみを感じるヒマがないほどに大変だった。だからよかったんだろう。

ツイッターで発信することにした。本土の人間だけど沖縄の言葉を勉強したい、教材も指導者もいなくて困っている、でも勉強したいと。その声を拾ってくれた沖縄の人たちが、言葉の海でおぼれてる私に手を差し伸べてくれた。お陰で私の心の穴は、健全で生産的で温かいもので満たされていった。

 

たとえある程度穴がふさがっているように見えても、元には戻らない。きっと一生戻らない。けれど、穴のふさぎ方を間違わなければ心は強靭になる

筋肉を鍛える時と似ているかも知れない。詳しいことは知らないけれど、筋トレをすることで一度筋肉の繊維を壊し、それを修復することでより強い筋肉が作られるそうだ。

 

偉そうに書いている私も、まだ心の穴を埋め続けている最中だ。自分に向かって書いてるような気がする。

 

勉強した言葉で好きな歌の歌詞を翻訳して歌いながら、自分の心を鼓舞してみたりする。 

ぐそーから ちてーぶさん。わーたみどぅ なちあかさんけー。ぐそーから あびぶさん。わーくぅけー むっとぅあらん。(荒野から君に告ぐ。僕のために立ち止まるな。荒野から君を呼ぶ。後悔など何もない)

この世を旅立ってしまった人が、現世に残した大事な人に全身全霊を掛けて訴える歌。中島みゆきさんの「荒野より」の一節だ。

 

まだ勉強して日が浅いので未熟だ。意訳しないとメロディにはまる言葉が見つからない。

だから来年度は、体調が許すなら、沖縄の大学で本格的に言葉の勉強をしようと思っている。