●心の中の森を行く●

生きた証を残したい。私が言葉を忘れる前に

脳外科病棟のタメグチ介護師に私は言いたい

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沖縄弾丸旅行が終わりに近づこうとしている時、右手足の感覚がおかしいことに気づき、私はだんだん焦りはじめた。

 

羽田空港から乗った空港バス車中で、とうとう右手が何を触ってるのか分からなくなってきた。このまま家に帰ったらマズいかもしれん。しかも夜中だ。タクシーが止まっている駅で降り、そのままタクシーで救急病院に突撃した。

 

CTとMRIを撮影した結果、手足と言語の部位で、少しだけ出血してるかも知れないですね、という診断だった。それに返事してる私の口が段々もったりとしてきた。

 

朝起きてみると、私がいる病室には5人の女性。みな大きな脳出血や脳こうそくを起こして半身不随になっている人達だ。うち3人はおむつをつけており、定期的に交換が行われていた。

私はというと、感覚鈍磨はあるけど動かす機能には大きな変化がない。でも危ないから念のために・・ってことで車椅子でトイレに行け、との指示が出ている。

 

「トイレって廊下出てすぐだよ。歩けるよw」

と思いつつも、ここは病院だから大人しく指示に従っていた。

 

看護師さんが連れてってくれる時は言葉が丁寧で、本当に申し訳ないです私は歩けるのに・・と恐縮するばかりだった。

 

ところがだ。

 

看護師さんに混じって介護師というんだろうか、白衣じゃなくてジャージとポロシャツを着ている人達がいる。彼女たちがエグいんだ。

同じように車椅子に乗せられたあと、とにかく初対面の人間にも関わらず敬語が使えないどころか

「あんた!足が邪魔!動く方の足は上に上げて!レバーも引く!何してるの?!」

万事こんな調子だ。

 

私は病院の指示でやむなく車椅子に乗っている。でも本当に自力で歩けない人が同じ目に遭ってたら、情けなくて情けなくてやりきれないんじゃなかろうか。

イヤなら「私は歩けるから、あなたの手助けはいらねーのw」とつっぱねる自由がある。

でも本当に手足が動かない人はそうはいかない。何を言われても、その人の手を借りなければトイレに行くことができない。黙って「ありがとう」というしかないじゃないか。

 

楽な仕事ではない。キレイな仕事でもない。国家資格を持って働いている看護師と違い、介護担当者の給料は多分激安。やってられねーよ。そんな気持ちになるのは分からなくもない。

 

でもな。

にこやかに丁寧にしろとまでは言わない。せめて(棒)でもいいから、敬語らしきものを話そうぜ。

あんたらが運んでるのは岩でもなければ巨大な丸太でもない。

動かなくなった身体の機能を少しでも回復させようと思いつつも、現実の過酷さに心が折れそうになってる人間なんだよ。

 

私は今も病院にいて、「あら、意外としっかり立てるのね」と言われながらも、まだ車椅子に乗せられてトイレに行き、ストレッチャーに寝かされてMRI撮影などに連れて行ってもらってる。

 

名前を知られてるからヘタなことはできないけれどね。

 

私の周りにいる人達、数十年前の父や母のような身体になってるんだよ。両親がぼそっとぼやいてた言葉が今でも浮かんでくるんだよ。

 

生殺与奪を握られてるから仕方なく何をされても「ありがとう」と言ってるけど、それが情けないと。

 

私、そう遠くない将来に車椅子の世話になることはなくなると思うけど、その前にまた介護師が押す車椅子に乗る機会があったらいいなと思ってるんだよね。

 

「なんでそんな話し方をするねんアンタ。私のこと、ナメてんの?医師の指示で車椅子移動ってなってるけど、私は歩けるねん。歩行機能に問題はないんや。汚い口のききかたをする人の助けはいらん。車椅子、片付けてもらって構わんから、トイレから出ていって、ほら早く」

 

言えたらいいなと思う言葉が、心の中でごろんごろん回転してんだよ今。

 

障害者をナメんじゃねえ。

 

目の前でおむつ変えられてる人達を見るにつけ、そんな言葉が頭に浮かんで仕方ないんだよ。

 

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