●心の中の森を行く●

生きた証を残したい。私が言葉を忘れる前に

後回しにしてはいけないこと

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大事なことは絶対後回しにしてはいけない。

 

夫の母が90歳の誕生日を迎えた日のことだ。誕生日当日になって「仕事の納期が間に合わないから今日は帰省しない」と夫が突然言い出した。

「仕事が終わってから帰省する」

「仕事のキリは私には分からん。でもどうしてもどうしても帰れないほど仕事が大変なら、せめて花でも送りなよ」

「そういう形式的なことは・・どうせすぐに帰省するんだし」

「あかん。今日じゃないとあかん。義姉さんに電話して花を買ってもらって病室に届けてもらわないと!」

夫の背中を押して電話を掛けさせ、無事に花が病室に届いたそうだ。

 

あかんねん。後回しにしてええこととあかんことがあるねん。

 

そうやって帰省を数週間延ばしていたとある日の夜に、義理の姉から

「おかあちゃんが亡くなった」

という電話が掛かってきた。

 

「僕、最近おかあちゃんに会いに行ったの、いつやったっけ。正月はこっちにおったよな、12月に会いに行ったから、次は1月くらいでええわって。・・1月から今までに、ひょっとして1度も帰ってない気がする」

確かにそうだ。私の手帳にも記録がない。この半年間、夫は母親のところに顔を出していない。ずーっと仕事に追われていたのは事実だけれど、半年は長いな。

 

もうちょっとあとで。

次の機会に。 

これが通用せえへん瞬間がやってくる。

 

 

私もそうだった。 

 

父の時は、死ぬ前日に病院に行った。次の日が仕事だったので、病室を出て駅に向かった。ところが、いつもと違い、電車の中で涙が止まらない。こんなことは今まで一度もなかった。

「このまま帰ってしまっていいんだろうか。仕事を休んでもう一日こっちにいた方がいいんじゃなかろうか」

衰弱しきった父の様子を思い出し、このまま電車を降りて病院に戻ろうかと自問自答し続けながらも、駅の雑踏に押し流されるようにして私は新幹線に乗ってしまった。

 

次の日の夜だ。仕事が終わった後、部屋から空を眺めていたら、唐突にナスビの煮物が夜空に浮かんだ。父の大好物だった。

「なんでいきなりナスビなんやろ?」といぶかしみながら着替えている最中に弟から電話が掛かってきた。

「お父さん、あかんかった」

訃報だった。

 

 父が亡くなったあと、母の近くに住んでいた弟が毎日家に顔を出して様子をみて、雑用を片付けてくれていた。時々私も帰省し、毎日電話で声を聞かせていた。母は脳出血の後遺症で話をすることが困難だったので、私がしゃべってるだけのことが多かったけれど。

ある日電話を切ってから、言い忘れていたことが一つあるのに気がついた。

まあ明日も電話するし、その時でええか、もうお母さんは寝る時間や。

 

明日が来るのを当然だと思っていた。

 私には明日がやってきた。

でも母には明日がやってこなかった。

 

伝えたかった言葉が宙に浮いたまま、後悔の気持ちをぶつける先がない私は自分を責めた。

 

次があると思っちゃいけないことがある。

 「明日できることを今日するな」的な格言っぽい言い回しがある。でもそれ、本当に明日に回しても後悔がないことなのか、よくよく考えないといけないよ。

 

病人相手の時だけじゃない。あなたや私自身にだって、当たり前のように明日が来るとは限らないんだから。

 

 

遺影の中でしか笑うことができなくなった義母をみて、生きているうちにもう一度・・という気持ちを消し去ることができなかった。

夫とそっくりな義母は、花が一杯飾られた棺桶の中でただ静かに目をつぶっていた。

 

どんなことでもそうなんだろうけど、誰相手でもそうなんだろうけど。

病人や高齢者相手のなにかをあとまわしにすることで、「取り返しのつかない後悔」という重たい石の下敷きになる可能性がある。

 

これで3度目だ。

 

義母は、きれいに晴れた空に向かって旅立っていった。