ねこが逝った。おまえを拾った公園の花と共に<2>
前回の記事を書いてからもう随分経った。
誰も通らない草むらから転げ落ちてきた子猫は、長寿猫の表彰を受けて程なくして亡くなった。今はその賞状を背にして、骨壷の中で静かに座っている。抱き上げると、ひんやりとした陶器の壁に当たって無機質でかそけき音がする。
そうだよな。お前はもう骨しか残ってないんだもんな。
そんな事実を突きつけられ、その都度に小さな骨壷をそっと元の場所に戻す毎日を送っていた。そして、骨壷の前に飾っている花が枯れるたびに、私はあの草むらに通った。季節はちょうど5月。沢山の草や花が芽吹き、美しい茂みを作っている。「抜かせてくれな、ごめんな、大切に飾らせてくれな」とつぶやいて、名も知らぬ雑草の花を少し抜いて持ち帰った。
こんな1カ月の間に、動植物育成系アプリが私のスマホの中へ次々とダウンロードされていった。つるつるした画面の中の猫、鳥、カメ。エサをあげるとすぐ食べる。首を支えてやらずとも、シリンジを突っ込んだりせずとも、みんなすぐにエサを食べてくれる。悟られないように薬の混ざったエサを食べさせるにはどうしたらいいか。もうそんなことを一切考える必要はない。みんな毎日すくすくと元気に育っている。手の掛からないつるつるした命だ。
でもな。いくら立派に元気に育っていっても、これは機械だ。命ではない。
衝動的にアプリを閉じ、検索画面に「猫 譲渡 (住んでる都道府県名)」と入力して、私は唐突に検索をし始めた。いないか?お前とよく似た捨て猫はいないか?お前、どの子なら自分の代わりに可愛がってくれていいと思えるんだ?いるかこの画面の中に?
とあるサイトにたどり着いた。個人もしくは動物保護団体と、猫を飼いたいと思っている人をマッチングさせるサイトの一つだ。
猫がたくさん登録されている。みんな可愛い。ページを繰っていく。
ふと指が止まった。こいつか?なあミッキーよ。こいつか、お前が気に入った子猫は?
1カ月前に火葬車の扉を閉めた時、私たちはミッキーに話しかけていた。
早くもどってきなさい
どうしても戻れないなら「自分の代わりにこいつを可愛がれ」
そう思える子猫を教えなさい
猫の寿命は20年前後だ
飼うからには最期まで責任を持って飼いたい
私たちはもう若くない
だからなるべく早く教えなさい
お前の代わりにどの猫を可愛がって欲しいのか
教えなさい、かならず
お前はこの約束を果たしてくれたのか?このほわほわした毛のこの子か?この子でいいのか?もし違うなら、私をイヤ~な気分にさせてみてくれ。でももしこの子でいいのなら、逆に晴れやかな気持ちにさせてみて欲しい。
ネットで面会の申込をした。その子猫と会わせてもらえるまでの数日間、私の心はずっと晴れやかだった。そうか、この子でいいんだな?何度も聞くけど、いいんだな?
始めて手に乗せてもらったその小さな命は、キロ単位でなはく数百数十グラムと表現されるとっても軽くて温かい重さだった。精一杯鳴いているけれど、とてもか細い。
最初に出会った人の理解がなければ、とうの昔に窒息死させられていたであろう小さな命だと聞いた。私はその命のバトンを次に受け継ぐことになる。私にそのバトンを託した人は、これまでに何匹もの捨て猫の世話をし、飼い主を探し続けてきたという。たとえ短い時であったにせよ、世話をしてきた猫を飼い主に託す時はいつも、別れの辛さで胸が詰まるそうだ。
子猫への応募はとても多いんです
その人は言った。
でも、18年前に草むらで猫を拾い、これだけ長く猫と暮らしてきたあなたにこの命を託したい。そう思いました。どうぞこの子を幸せにしてやってください。
ほわほわの命がまた我が家にやってきた。
その後、病気で猫を飼えなくなった知人から猫を一匹託された。
そして今、この文章をパソコンに打ち込んでいる私の腕を枕にして、仲良くだらあああんと伸びている。
ここには少し前までおじいちゃん猫がいたんだよ。お前たちをここに呼び寄せたのはそのおじいちゃんだ。おじいちゃんに色々教えてもらいなさい。最後の最後まで本当にいい猫だった。見習いなさい。
そして長生きしなさい。
よくきたな。ありがとう。