●心の中の森を行く●

生きた証を残したい。私が言葉を忘れる前に

【弔辞】障害者家庭で育った娘に進学への道を拓いて下さった先生へ

障害者を両親に持つ女子高生にとって、大学への進学にはとても大きな壁が立ちはだかっていました。

 

一番の壁は親戚の大反対。その理由は3つ。

 

①普通の家庭でも、女の子は高卒もしくは短大に進学する。せいぜいお嬢様女子大。四年制の国立大学に進学するなんて非常識だ

 

②高校卒業後は親の介護をするのが常識だろう。大学に通うようになったら、その間だれが親の介護をするんだ。まさか私達親戚の手を借りようだなんて思ってないわよね?

 

③なけなしの貯金は、身体が弱くてあまり勉強が得意ではない弟の進学費用に充てたい。

 

それらの高い高い壁をぶち抜き、両親が重度身体障害者になってしまった家庭の娘に、大学進学への道を拓いて下さった高校の先生。私は四年制大学に進学できたことで人生が変わりました。普通の生活ができるようになったのは進学のおかげ。

 

こんな方がおいでになったことを文章に残したくて一気に書きました。

 

yakusugi.net

 

このブログで私は、自分の人生を通り過ぎていった出来事を時系列に沿って書いてきました。


samarka.hatenablog.com

 

本当なら、大学受験時のエピソードも先生のことも、もう少し先に書こうと思っていたんです。けれど先生の訃報に接し、遠くからお線香代わりに一気に今書こう。先生のことをメインに記事を書こう。そう思いました。

 

35年から40年も前のことです。障害者家庭に対する風当たりは、今とは比較にならない程の逆風でした。近所の人達はもとより、親戚でさえ離れていった。だからこそなおさら、この先生の存在は空から差し込む一筋の美しい光だったんです。

 

できれば少しでも多くの方の目に留まることを祈りつつ、この記事を送信します。