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独り旅バックパッカー歴30年超の女が語る【貧乏旅行の宿事情】

スマホがない。デジカメない。スマホは当然あるわけない。ネットもない。コンビニない。LINEって何だよ線のこと?・・・私が独り旅を始めた1985年の日本はこんな感じだった。 

 

出来事で振り返ってみるならば、日本航空機が御巣鷹の尾根に墜落して世界最大の航空事故を起こした年。阪神タイガースが優勝して、喜び狂ったファンの手によってカーネルサンダース道頓堀川に強制ダイブさせられた年。電電公社はNTTに、専売公社は日本たばこ産業(JT)へと名を改めて民営化。青森と函館を結んでいた連絡船に取って代わることになる青函トンネルが貫通した(営業運行はまだ先になる)。夏目雅子さんが亡くなり、「八時だョ!全員集合」という大人気お笑い番組が終わり、久米宏の「ニュースステーション」が始まり、羽生善治が中学生プロ棋士になり、秋元康プロデュースの「おニャン子クラブ」というグループが出演する「夕やけニャンニャン」が人気を集めた時代だ。読んでくださってる方々はこの中のいくつをご存知なんだろう。とにかくもう過ぎ去ってから長い年月が経ってる事柄ばかりだ。

 

この30有余年の間に新しいモノやサービスが生まれたその影で、ひっそりと姿を消したり変えたりしたものがたくさんある。日常生活の中だけでなく旅に関係する分野でも同じことが言える。

 

私はこれから1985年から始めた旅の記録を書き残そうと思ってるんだけど、今はもうないモノやサービスについて言及しないといけない場面がたくさん出てくることだろう。物価はほとんど変わっていないんだけど、生活に必要とされる物品やサービスの変化は本当に大きい。具体的なことは、今後の記事でちょくちょく触れるとして、今回の記事では「ユースホステル」を切り口として、当時の貧乏バックパッカー旅行の宿泊事情についてあれこれを書いてみたいと思う。

 

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本題に入る前に、国際通貨基金IMF)の統計データに基づいて作られたグラフを使って、この40年間の日本の物価水準について書いておこう。今後の旅行記録の中にも、モノやサービスの値段について書くことがあるだろうから。

 

よく「当時の100円は現在の価値で言うと100万円に相当する」といった言い回しを耳にすることと思う。確かに物価や貨幣価値は時代とともに変化してきたけれど、それには但し書きがつく。1970年代まではそうだった。

 

1985年を基準にして以下のグラフから数字を拾うなら、当時100円で買えたものは今でも大体100円で買えるということだ。1980年代以降の記憶しかない人にとっては、モノの値段があまり変わらないことや、むしろ安くなっていくことにさほど違和感を感じてないかもしれない。でもそれは日本国内だけの話であって、以下のように主要国の物価変動率はこんなに大きいんだ。

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https://toukeidata.com/country/bukka_suii_hikaku.html

 

私の肌感覚で言うならば、100均で買えそうな系統の商品は、昔と比べて随分安く手に入るようになったと思う。ただしそれは、同じ質のものが安く買えるようになったという意味ではない。おおよその傾向として、商品の質を落として価格を抑えていることが多い、ということだ。昔と同じようなしっかりした品質のものを買いたいのなら、やはり昔と同じくらいのお金を払わないといけない(あくまでも私の肌感覚においてだけれど)。

 

旅行に関して書くならば、旅費を抑えるのに役立つサービスが登場したことによって、いわゆる貧乏旅行に掛かる旅費はかなり圧縮できるようになったと感じる。

 

具体的にはLCCの就航と時折打ってくるっ破格のバーゲンセール。これは長距離高速バスについても同様だ。そして、交通・宿泊予約における早割サービスも浸透した。さらには、女性でも安心して利用できるカプセルホテルも珍しくない昨今だ。いまやカプセルホテルは、終電に間に合わなかった酔っ払いや、宿泊費を抑えたい出張族専用の宿泊施設ではなくなった。

 

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さて、やっと本題だ。これを読んでくださってる若い方は、ユースホステルというのを知ってらっしゃるだろうか。

 

どう説明すればいいんだろう。詳しくて正確な情報はwikipediaなどを見ればわかることだから、ここではざっくりと書いてみる。若者に安価かつ気軽に旅してもらおうという趣旨で作られた世界的な組織があり、そこが運営しているのが「ユースホステル(YH)」という宿だ。手元に残っている当時の資料を読み返すと、安いYHだと2000円でもおつりがもらえた。素泊まり千円台後半ってことだ。素泊まりのところも多いが、朝食夕食を提供するところもある。それでも当時は4000円でおつりがくる、貧乏バックパッカーにとってとてもありがたい宿だった。自分で布団シーツを持ってくと、宿泊代金から100円程度の割引があった。

 

会員制で、日本全国のみならず世界各地に同様の宿が多数存在する。今は安いビジネスホテルや小奇麗なカプセルホテルなどに押されて、YHはどんどん廃業に追い込まれている。中には、宿泊施設としてまだ営業を続けてるけどYHと名乗ることはやめた、というところもある。YHというチェーン店的なシステムに乗っかって営業するメリットがないんだろうな。

 

YHに宿泊すると、会員証についている用紙にその宿オリジナルスタンプかシールを貼ってもらえる仕組みで、スタンプフェチな私にはそれも楽しみの一つだった。スタンプやシールを押したり貼ったりしてくれたYHのほとんどは、廃業してしまって今はもうない。その当時の会員証は家にまだあるんだけど、夫の大量の本の山に阻まれてすぐに取り出すことができないんだ。出てきたらここに画像を貼ってみようと思ってる。こんなに本を買ってどうする気だよ。何百年生きるつもりでいるんだよまったく。

 

次は宿のスペックとサービスについて。これまで私が泊まってきたところは、二段ベッドが複数並んでいる相部屋が多かった。今でいうドミトリーだ。ところが驚くべきことに、私が宿泊した範囲では、私物を預けるコインロッカーが存在しなかった。当時はパソコン・スマホ・デジカメなどの電子機器がなかったため、外出時に宿に置いておく荷物の中に残るのは着替えや洗面道具や常備薬くらい。盗んでもあまり金銭的価値がない。だからロッカーに入れてなくても何とかなってたんだろうな。

 

朝食夕食を提供しているYHでは、決まった時間に食堂に行って、知らない人達と一緒に食事をする。宿にもよるけど、食べ始める時間は宿泊者全員同じ。その時間に間に合わないときは、あらかじめ電話をしてけば、自分の分の食事を残しておいてくれる宿もあった。食事の後はみんなで食器を洗う。流れ作業だ。

 

それが終わったら「ミーティング」の時間。ミーティングといっても、何かを話し合うために集まる訳ではない。運営者(ペアレント)や運営の手伝いをしている人(ヘルパー)と一緒にわいわい話をしたり、誰かがギターを弾いてみんなで歌を歌ったりすることをそう呼んでいた。YHによっては、狂ったように踊り続ける時間でもあった。今も残っている北海道の桃岩荘YHのそれはとても有名だった。当時はYH内での飲酒は不可。つまりそのYHでは、知らない人ばかりが集まってシラフで踊り狂ってたわけだ。今思えばあり得ない。意味不。しかも消灯は10時。どんだけ健全なんだよ。

 

連泊者対象に、ヘルパーがガイドツアーを行ったりスキー教室を開いたりもしていた。ヘルパーってのは住み込みのバイトみたいなもんだ。その宿の従業員ではない。旅好きな若者がその宿を気に入って居ついている、そんな感じ。だからベースとしては旅人。これは本人に確かめたわけではないので定かじゃないけど、彼らのがスキーのインストラクター資格を持っていたかは怪しいところだ。そういうのって珍しくないんだろうか。なんかあったときの傷害保険も掛けてないんじゃいかと想像する。

 

とりあえず素人のボランティアという感じだった。後述すると思うけど、北海道の某YHのスキー教室で、転倒したまま起き上がれずに助けを呼んでいるというのに、ヘルパーの男性たちは、他の綺麗な女子大生たちに夢中で、参加者が一人足りないことに全く気づいていなかった。パウダースノーの大平原に置き去りにされた私は危うく死ぬところだったというのに、そのお詫びの品はヘルパーが自腹で買ってきたYHお手製のショートケーキ1つだけ。ヘラヘラと「さっきはごめんねえ(笑)」とかヌカしてやがる。その後私がどうしたかは、北海道旅行の話が書けるところまで旅行記が進んだら書いてみようと思ってる。

 

・・・ナメやがって。ひとの命を何だと思ってるんだ(怒w)